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レギニータ  ――03
「レギニータ」02から)

 逆さに立てた巻貝のように、道が回りながら下っていた。キセリタが指示するのは暗い小道ばかりだが、一定の周期で大きな通りに出た。ジェノーは口にタオルを巻かれ、ミナシキに背負われていた。どれほど毒をのまされたか分からないが、しょっちゅう背中で暴れ、下ろすと吐いた。そうでなければ魘されていた。
 そしてあの光る蝶が、よく頭上を凱旋していた。高いところに限らず、破れた窓や、道の隅で、円柱になってぐるぐる廻っていたりした。
「ミナシキ、そろそろ教えて」
「......何を」
「第三階層のあの女のことよ。どうしてあんな事をしたの? どういう関係なの?」
 あんなに呻いたりしていたジェノーがすっかり静まり返っている。話さない理由が見つからず、諦めて口を開いた。
「......殺した理由など知らん。挨拶代わりだろう。そういう奴だ」
「人間なの?」
「ヒトでもあり、ムシでもある。インカーネイトが蟲との交信を試みているという噂は聞いたことがあるか?」
「えぇ」
「レーコはそれさえ差し置いて蟲との意思疎通に成功した人間だ」
 サヤカが足を止める。
 その丸い目を見下ろし、歩こう、とミナシキは促した。
「人間だったころ成功した、と言うのがより正確だな」
「そんなの、聞いたことないわ」
「当然だ。要らぬ混乱がおこる」
「あの女は、なに? それじゃあ蟲を操ってるやつらの仲間なの?」
 蟲を操っている奴ら。
 そいつは噂の世界で様々な顔を持つ。あるときは異星人。あるときは、未だ到達されていない枝の人間。あるときは未来人。
「俺はあの女と、どこかの枝で双子だったらしい」
 ミナシキはサヤカの顔を見ない。サヤカは足早についてくる。
「だから王は俺を許さない。だが殺せない――まず、俺が消滅した場合と存続させた場合、どちらがヒトにとって有為か思考演算が終わらないからだ。未知数が多すぎる。そして、とある理由で王は直接手を下したくない。放っておけば緩慢に死ぬことを望んでいる」
「......待って、待って! さっきから王とかインカーネイトとか、規模の大きな話ばかり」
 苛立つ手が二の腕を掴んだ。
「あなたは誰なの? どういう人間なの? 王に関わる人間なの?」
「さあな」
「そのReRouEは誰から貰ったの? インカーネイトから?」
「知らなくていい!」
 サヤカが、怯えて手を離した。
「俺はレギニータを出て行く。さっきこの男が言った通りだ」
「ReRouEを持ち出すってこと?」
「そうだ」
 それから何度も、サヤカはたびたび歩く速度を変えながら、何か尋ねようとしては止めた。ジェノーは今死体に似ている。キセリタの言う症状が本当なら、仮に薬の大部分を吐き出したとしても、身の内の崩壊は止まるまい。
 ミナシキもだ。
 ただでさえ微熱が引かない上、昼から夜半までの間まともに動けない。今も歩いている内に、体がいやな具合に火照って頭が重くなってくる。余計な荷物があるぶん、尚更だ。
 歩きながらジェノーを背負い直すと、左右に体が揺れた。
「......じゃあ、あれも本当なの?」
 後ろのサヤカが呟いた。
「ReRouEが持ち主を殺そうとしてるって」
「どうなんだキセリタ」
 回答を、腰に佩く剣に求めた。キセリタはすぐに答えなかった。言葉を待った。
『いいえ......。ジェノーとReRouE?レェゼとの場合、特殊な関係性が二人の間にあったのでしょう』
「どういうことだ?」
『分かりやすい例を出しましょう。王はあなたを旅立たせたが、インカーネイトの理由とレンシディの理由は異なるものでした。まず、それと同種の齟齬があのReRouEと宿主の少女の間で発生し、激しい相克が繰り広げられたと考えられます。それがレェゼの人格を歪めた』
「宿主と持ち主を死なせるほどか?」
『インカーネイトの出先機関とはいえ、我々は独立した人格、性格、思考回路を持っています。我々が他者の人格を接収するとは、そういうことですよ。恐らく宿主の少女は何らかの理由で、精神に大きな暗部を宿していた。持ち主が何かそれを刺激するようなことをしたのかも知れません』
 大きな暗部......。
 ビルキエの死について、今は極力考えないようにしていた。それにしても彼女が何を、そんなものを抱えていたというのだ。
 もう一度ずれ落ちる男を背負い直す。
『もう一度例えましょう。王の傍にはいつもゴドハとロウオクが控えておりますね。あの二人の存在がレンシディの自意識をインカーネイトから解き放っている。インカーネイトの知性は二人を信用していません。ですがレンシディは自分が選んだ男と義理の娘を信用したい。言われるがままに実の子を放逐し、あなたを死なせてでも』
「その例えはもういい」
『レンシディは心の強い明晰な女性であったとインカーネイトは記憶しています』
 キセリタは話し続けた。
『ですがレーコの存在を認知したとき、彼女はあなただけを憎んだ。あなたが双子の弟であることに全てをかぶせ、その世界ではその世界における自分が、親であることを拒絶したのです。このことの意味が分かりますか?』
「精神が老いている......」
『もし迷宮を制した時の強い彼女であったら、その事実も別の受け容れ方をしたはずです。いずれレンシディの意識は消えます。それまでにレンシディとインカーネイトの乖離が収拾のつかない域に達していたら、レギニータは滅ぶでしょう』
 滅ぶ、とミナシキは呟いた。
 滅ぶ? とキセリタの声を聞けないサヤカが囁いた。
「キセリタさん」
 いつの間にかミナシキは、休める場所を探していた。
「あのっ、お願いがあるんです。私あなたの声は聞こえないけど、私の声は聞こえますか?」
「聞こえている」
 代わりに答えた。
「言ってみろ」
 サヤカは口を開くまで、随分と躊躇っていた。その言葉を聞くまで、ミナシキも、うつろな目をしていた。
「ミナシキを殺さないで」

 夜の音。それがまた聞こえるようになったのは十四の頃だったと記憶する。眠りと覚醒の縁取りをなぞりながら、それを再び聞いたとき、確かに幼い頃はこれを聞いていたと懐かしく思ったものだ。
 頭の後ろの高いところから聞こえてくる低音。
 肺の風が強い。
 寝袋から枕元に手を這わせ、懐中時計を寄せた。蛍光塗料の針が八時を回っていた。あと四時間で移動を再開しなければならない。日が暮れて時が経つはずなのに、なかなか体温が下がる気配がない。
 額の汗を拭った。いつも眠りに就くときは悪寒に震え、目覚めたときには汗をびっしりかいている。悪夢を見ているのだ。目が覚めると掻き消えて、すぐに忘れてしまうけれど。
 硬いベッドで寝返りを打つと、肺の風が竜巻になって喉にせり上がった。
 咳が来る。
 寝袋を巻いた体を起こすと、最初の咳が飛び出た。とめどない咳が喉を傷つけ、たちまち血の味が混ざった。
「ミナシキ」
 サヤカの声がして、この部屋の戸が開いた。サヤカがベッドに体を乗せて、ミナシキの背に掌を当てた。布キレが差し出された。手の血がサヤカにつかないように受け取り、口にあてがった。
 吸う息が速い。吐く息も速い。機関銃のようなこの呼吸を、絡みつく血痰が止めてしまおうとする。痰を吐く息もろくに吸えず、頭を膝につけんばかりに背中を屈めた。血が、鼻からも溢れてくる。
 サヤカはずっと、背中を叩いたり、さすったりしていた。
 いつもより長い時間をかけて、咳が収束に向かう。少しずつ吸う息を多くしながら、頭を上げようとし、逆に倒れこんだ。鼻血がまだ収まっていない。ミナシキはぐったりと目を閉じて、自分の呼吸を恐れていた。
 サヤカが名を呼びながら、額に手を当てた。
「ねえ、移動は朝にしましょ」
 ミナシキは目を開けずに首を振った。
「駄目よ! 動ける状態じゃないでしょう?」
 水も食料も、多めに見こんで購入した。だが一人負傷者を背負いこんだ以上、そんなものは何の保障にもならない。せめて人並みに早く、第一階層に到達しなければならない。
『ミナシキ、蟲が来ます』
 強制的に目を開かせ、意識の焦点を結ばせたのは、キセリタの声だった。体を走る緊張を捕らえ、サヤカが背中を撫でるのをやめた。腕をついてもう一度起き上がった。
「どこから来る」
「どうしたの?」
『東南東から5キロの距離。私たちの進行方向です。二時間で到達します』
「えらく遅いな。陸モノか」
 足を使って移動する蟲を指す言葉だ。
『はい。大型の単体です』
 立ち上がろうとするミナシキの腕を、サヤカが両手で引きとめた。
「どこへ行くの?」
「蟲が来る。すぐに移動しよう」
 息を止めたサヤカに、荷物を纏めるよう指示する。
「やり過ごせる迂回路はあるか?」
『現在の歩行ペースで四時間分の遠回りになりますが』
「それで行く」
 ストールを巻き、剣を装着する。廊下でサヤカが台車を用意する。隣室で身を縮ませるジェノーを、二人で毛布ごと抱き上げる。
 目を覚ましたジェノーが呻きはじめる。
「ジェノー、移動だ」
 やけに軽くなっている気がする。赤く変色していた肌が、今は白くなっている。何か尋ねている。
「足の速いものではない。落ち着け」
 台車に寝かせ、それをサヤカに押させた。タイヤが床に汚れを残す。先立つミナシキが玄関を開け放ち、ジェノー、そしてサヤカが続く。
 通りでは、ミナシキに向かって人の影が伸びていた。
 立ち並ぶ発光柱が、死んだはずの少女の立ち姿を照らし出していた。金色の長い髪。よく洗濯された白いドレスとピンク色のリボン。白いハイヒール。
 ジェノーが切迫したうめき声を発した。
 また別の気配にミナシキは振り向く。
 後ろに、全く同じ姿の少女がもう一人立っていた。

 どちらからも、三人に、襲い掛かったりしなかった。ミナシキは機関拳銃を抜く。
「ジェノー」
 台車に目線を動かすと、それに貫かれたジェノーが喉の奥で呻いた。
「レェゼはどっちだ?」
 困惑して首を横に振っている。前後を素早く見比べた。いずれも両手を背中の後ろに回し、首を右に傾げている。
「まだ生きていたのね」
 全く同時に二人が言った。
「薄めすぎたかしら」
「こいつは俺が連れて行く。お前らには殺させない」
「その前に死ぬわ」
 やはり同時に、二人ともが言う。
「第一階層の貧民層じゃ治せない。軽率だったわね、出口を吹き飛ばして」
「それに」
「王がきっと怒っているわ」
「ReRouEを手放すなんて」
 左右から忍び笑いに挟まれ、ミナシキは剣に目を落として息を鎮めた。
「......キセリタ、インカーネイトと交渉してレェゼの機能を停止できないか」
『現段階では不可能です。私と彼女は同位の存在ですから』
「ReRouE?レェゼ、何故この男を殺そうとする」
「要らないもの。だって私自分で歩けるわ」
「そうして何処へ行く?」
「どこか、楽しいとこ」
「そんなことの為に、わざわざお前をビルキエに憑依させたと思うのか!」
「怖いわ、オニーサマ!」
 二人が大声で嘲笑った。
「彼女を選んだのは王女よ」
「ビルキエも志願したわ」
「そうでなきゃミナシキを行かせると言ったもの」
 気がつけば、銃を握り締める手が、肩まで強張っていた。サヤカの視点が首筋に固定されて動かない。ジェノーの苦悶の声だけが流れている。
「王女が悪いのよ」
 沁みこませるように二人が言った。
「王女?」
 ミナシキは、肩から力を抜く努力をしながら言った。
「――あの青毛のバカ女が」
「そうよ! あの青毛のバカ女が――」
 後ろの少女が言った。
「そうよ! あのバカ女が――」
 前の少女が言った。
 両者が過ちに気付く前に、銃声が鳴り響いていた。
 後ろの少女の額に三角形に穴が開いた。サヤカが悲鳴をあげてしゃがみこむ。爆発音をたてて、白い光が少女の体を捨てて、尾を引いて町を飛び去る。
「キセリタ!!」
 同じ光がミナシキの剣から放たれ、追撃し、絡み合いながら消えていった。ビルキエの骸が崩れ落ち、身を翻すとそこでレーコが――白い服と豊かな黒髪の、自分によく似た顔の女が床を蹴り、身を翻して飛び上がった。銃弾が二発空に消えた。
「お見事!」
 近くのテラスに着地したレーコがミナシキにウィンクし、L字のテラスを曲がった。
「サヤカ、隠れてろ!」
 後を追って走り出すと、坂を駆け上がる白いスカートがまた角を曲がるのが見えた。その先は階段状の通路になっており、両脇の家の形に合わせてカーブし、先が見えない。
 駆け上がる。
 白い服が翻る。
 レーコの細い体が跳ね、銃撃を受けた衣服の裾が千切れる。香水の匂いを鼻に残してレーコは消えていた。
 階段をまたぐ橋、彼女はその上にいた。
「ひどぉい」
 髪をなびかせて走っていった。
「バッタ女め!」
 ミナシキは橋の下の家の窓を破り、二階にあがり、そこの窓から橋に飛び移った。橋を渡ってもレーコの姿は見当たらなかった。それを求めてさらに細い路地に入ると。
 猛烈に嫌な予感がして、すぐさま実現した。
 手持ちの銃と同じように、三回咳が出た。
 民家の壁に手をつく。こんな時に、と思う間に、乾いた咳が溢れ出し、その場に膝を落とした。
 銃を握り締める右手が床からあがらない。左手で喉を押さえ、がっくりと首を垂れて、身の内の嵐に弄ばれるままとなる。どうにもならなかった。
「きたきた」
 きつく閉ざした目を、その声にこじ開ける。
 軋むほど動きを拒む首をもたげると、レーコのヒールが道の先に見えた。震える銃口を、そこに合わせようとすると、すかさず爪先が飛んできた。
 弾き飛ばされた拳銃が、手の届かない場所まで滑っていった。体勢を崩し、肘をつく。レーコが目の前にしゃがみこんだ。
「シキちゃんはぁ、かわいそうだねぇ。いつまで苦しいのかねぇ」
 歌うようにそう言って、白く長い指をミナシキの顔に這わせた。冷たい、生命の気配のない感触だった。振り払い、血走ってうるんだ目で睨んだ。
「可愛い......」
 その視線を受け止めるレーコが、うっとりと目を細めた。
「こんな痛い体がまだ大事?」
 一度収まりかけた咳が、より一層烈しく体を衝いた。
「私は、要らない。それで幸せになったわ。毎日大好きなものに囲まれてる」
 肺をひきちぎるほどの苦しみに身を屈し、レーコに構う余力もなく咳をし続けた。粘り気のある血が床にシミを広げていた。いきなりレーコが両肩を掴み、家の壁に押し付けた。
「――私は怯える人がだぁい好き」
 笑った形のままの口で、レーコが自分の指を噛んだ。血の珠が浮かび上がった。目の覚めるような彩りだった。
「お姉ちゃんと、」
 その指をミナシキの唇に運ぼうとし、笑顔が消えた。
 薄紅に色づいた歯を剥いて、ミナシキの震える右手がナイフをかざしていた。
 白兵戦用の諸刃のナイフ。
 レーコを威嚇しつつも、切っ先の角度は自分自身の喉を向いている。
 折りしも咳がやんでゆく時だった。
「そんなにお姉ちゃんが嫌い?」
 黙って睨み続けた。言葉を出せばまた咳が出てくることをよく知っているからだ。沈黙が続いた。立ち上がったレーコが片足を上げ、ミナシキの顔の横の壁を蹴った。尖ったヒールが壁を抉り、ミナシキは顔を背けた。
「......興醒めだわ」
 怒りをこめて吐き捨てると、暗いほうへと背中を向けた。動く様子のないミナシキにその背中を晒し続け、後にほのかな香りを残して、靴音と共に去っていった。

 ミナシキが、剣を抱きかかえてその場に横たわっていた。白い光が飛んできて、剣に収まった。
『なんですか、この体たらくは』
「黙っ」
 と言いかけて力なく咳をし、腕をついて起き上がった。胸を軽く叩き、赤い痰をハンカチに吐き出し、息を落ち着かせながら、乱れた前髪に指を入れた。
「レェゼは......」
「それが――」
 ジェノーの絶叫が坂の下の遠くから聞こえてきた。絶叫、といっても彼の喉はずたずたに爛れている。かすれて切れ切れの、しかし痛みや恐怖を振り切ろうとする、力のある声だった。
 時折左右によろめきながら、来た道を戻った。見覚えのある大きな道に出ると、向こうからサヤカが走ってきて両肩を掴んだ。
「何があった?」
 ほぼ同時にサヤカが同じ事を尋ねようとしたが、ミナシキの腕を引いて急ぎ足で道を戻る。
 ジェノーの台車は、借りた民家の前に放置されたままだった。本人はその横でのたくっている。泣き声になっていた。前に立ち、ミナシキは声を失った。ジェノーに右腕がない。肩口を左手で押さえている。取れた腕は台車にあり、袖から覗く掌が上を向いていた。
『レェゼがこの中に!』
 キセリタが言うと同時に、またもジェノーが叫んだ。背中をそらし、頭でブリッヂをして目を見開いている。地面に投げ出された左腕だけがいきなり、ぐるり、ぐるりと筒のように回転し始めた。筋肉や神経が千切れていく音が聞こえてくる。
「さっきもこうやって右腕が取れたの!」
 サヤカが涙交じりで訴えた。
「ミナシキ! お願いどうにかして!」
「どういうことだ、キセリタ!」
『レェゼは残忍であることを学びすぎたのです! 彼女の精神性は既にReRouEのものではない!』
「止められないのか! 同胞だろう!」
 八つ当たりなのは分かっていた。一つの物体にReRouEは一体しか憑依できない。キセリタに何もできないことは分かっていた。
『同胞ですって? 冗談じゃない!』
「――ったい――ったい――すけて――れっ」
「サヤカ、こいつの目を隠してくれ」
 サヤカが慌てて頷いた。台車のリュックのポケットから適当に切った布を取り、ジェノーの目にかぶせた。
「おい――なに――」
 人差し指を唇に当て、サヤカに首を振る。
「大丈夫よ。何でもないから。ねっ?」
 ミナシキは剣を抜いた。十分に威嚇効果のある、幅広の剣だ。反対の手でジェノーのこわばる左手を持ち上げた。掌に回転の力が踊る。サヤカがジェノーに話しかけ、気を紛らわしている。二の腕の音を立てているところへ剣を振り上げた。
 剣は予想より遥かに鋭かった。断ち切られた左腕がミナシキの左手に残り、剣を収め、サヤカに頷いて目隠しを外させた。
 目で見て、初めて腕がなくなったことに気付いたようだった。どうするかと思っていたら、ジェノーは諦めて笑い出した。するとまた、うげぇ、と呻き、悲鳴をあげる。最初に聞いたものと明らかに違う。荒れ狂う風のようだ。声帯が機能していないのだ。
 今度は、右足が、断裂の音をたてながら回転を始める。ミナシキの手が再び剣の柄をとった。
「もうやめて! バラバラになっちゃう!」
 引き止めたのはサヤカだった。ミナシキは剣を離し――代わりに銃を取った。
「レェゼ。コイツと話をさせろ」
 嚇すように低く言うと、応えるようにジェノーの身悶えが緩やかになる。その顔の横に膝を屈めた。
「お前はもう助からん」
 ミナシキは言った。
「出血か痛みのショックで間もなく死ぬだろう。それを免れたとしても、先に待つのは長い階段室だ。俺にも、もう一度お前を背負っていく余力はない。分かるな」
 げっそりと痩せこけた、土気色の顔で、ジェノーは頷きながら口を動かした。
 それは五回目で聞き取れた。
「とどめをさせ――」
「......あぁ」
 やめて、とサヤカが言うと同時に、レェゼがジェノーの足を断ち切りはじめる。
「目を閉じてろ。耳をふさげ」
 サヤカが兎のようにうずくまった。その動きを気配で察し、立ち上がってトリガーを引いた。
 ジェノーは目を開けたまま死んだ。
 大量の光る蝶が、皮膚から染み出るように飛び出し、てんでバラバラに飛び去っていった。祝福のように明るくなり、すぐに元通り暗くなった。
 レェゼの行方は知れない。

 長い部屋。作業員のための休憩室。
 壁の両側に頭をつけてベッドが並んでいる。照明は部屋の中央だけに点している。
 ミナシキは部屋の奥の、薄暗いところで、入り口に背を向けて横になっていた。目を覚ましていた。薄く開いた両目の下には、赤みを帯びた黒色がスッ、と線を引いている。放り出されたザックの膨らみは、この区間に入った時の半分以下に減っている。時計を見た。二時を回っている。午前二時。咳が暴れ出す気配はない。寝返りを打つとその先に、サヤカの姿がある。ベッドの上で立てた両膝の上に、スケッチブックが開いているが、持ち主はそれに空ろな視線を彷徨わせるだけだ。手を体の横に投げている。鉛筆が床に転げ落ちている。
 ミナシキが起き上がると、大きな二つの目に光を取り戻し、サヤカがこちらを見た。同じように青白い顔色で、目に隈を作っている。
「何をしてる?」
 サヤカは答えを考えていたが、首を横に振って膝を抱きこんだ。
「何でも......」
 寝袋を、体重をかけて圧迫し、袋に詰めこんだ。ジャケットを羽織り、ジッパーを上げ、靴に足を入れた。
「移動するの?」
「いいや。サヤカはもう少しここにいろ」
 手早く剣帯代わりの紗を腰に巻き、剣を固定する。
「一人で行っちゃうの?」
 腕に顎を乗せ、サヤカがしょんぼり呟いた。ミナシキはそっとため息をつき、床からエンピツを拾い上げ、彼女の手許に置いた。
「......いいや、帰ってくる。荷物を纏めておいてくれ」
「なら一緒に」
「駄目だ」
 立ち上がりかけたサヤカをとどめた。
「あの女は絶対、俺をただでここから出しはしない」
「それじゃあ」
 足手まといはいらない。そういうことだ。
「あいつを始末してくる」
 髪に手櫛を入れた。腫れぼったい両目をこすり、服装を整える。手榴弾や弾丸を詰めた腰鞄を巻き、機関拳銃の三点バーストをフルオートに切り替える。
 それらを終えてから、改めてサヤカと向き合った。サヤカは立てた膝からスケッチブックを振り落として、縋りつくようにミナシキを見ていた。
「......だから、お前とはこれで最期になるかもしれない」
「死んじゃうの?」
「その時はキセリタが報せに来るだろう」
「待って!」
 サヤカが足を床に下ろした。
「戦わなきゃいけないの? やりすごす手はないの?」
「いつまでもは逃げ切れまい。ならば体が動く内にやる」
 床に滑り落ちたスケッチブックを、腰を屈めて拾い上げた。
 細長い魚が描いてあった。見えない何かを庇うように、長い尾ひれをぐるりと巻いて、上向きの口を開けている。それを差し出した。
「......『クジラ』か?」
 受け取ると思いきや、サヤカはそれを手首で払いのけた。顔を赤らめ、涙をためた目をミナシキから背けていた。スケッチブックは軽い音を立ててベッドの上で閉じた。
「......もっと......上手に描けたのを......見て欲しかった」
「これは上手くないのか?」
「下手よ。全然つまらない」
 サヤカはそう言ってかぶりを振った。
「頭の中ではもっと素敵なの。見たことのない場所があって、人や動物が動いてて、物語があるの。でもいつも描いてしまうとつまらない。あんなに描きたかったのに、下手で、何も思うように描けない」
「俺に絵の巧拙はわからんが......」
 戸惑いながら、どう言えばいいかを考えた。
「......それでも色を塗ったものを見たかったな」
「あなたも同じ事を言うのね」
「誰と同じか知らないが、そうとしか言えん」
 二人ともが黙った。何を言いたいものか、自分を探り、これまでに掛けられた互いの言葉を探っていた。
「......もしここを生き延びた後、描きたい気持ちが残っていたら、一つでも色を塗ってみろ。なくした色鉛筆じゃなくてもできるだろう」
 目を上げたサヤカの前を通り過ぎ、振り返って言った。
「俺は終わらせてくる」
「......そうすればいいわ」
「よくぞ今まで世話をしてくれた。恐らく感染しているだろう。ここを出たら、発症する前に検診を受けるといい」
「あなたもよ。レギニータを出たらまず体を治して」
 サヤカはしっかりとミナシキの目を見て言った。
 レギニータを出る。
 途方のない旅の一つの通過点と認識していた事柄だが、急に今、そういう地点を生きているのだということを思い出された。
「そうだな。それが叶えば」
「叶えて。あなたはまだ終わらないで」
 こんなにはっきり望みの言える女になったかと、感動するものがあった。ドアノブに手をかけて、サヤカの真剣な眼差しに、少しだけ表情を緩めた。
「――行ってくる」
 そうして一思いに部屋を飛び出した。
 階段室は太い、空洞になっている。その内壁を巻いて、階段が時折スロープになりながら、幾重にも円を描いている。
 そしてその円形の空洞を、数え切れない光る蝶が上から下まで埋め尽くしていた。この蝶たちが何なのか、ミナシキはまだ知らない。それらは駆け下りるミナシキに関係なく、好きなように群れ羽ばたいて、階段を照らしていた。
 底が見えてきた時、一斉に動き出した。見えない水流に押されるかのように、一斉に蝶たちが階段室の底へ向かい、その先で口を開ける真っ暗な一室へと吸いこまれて行った。








(「レギニータ」04へ続く)

【事務局注】
この作品は、送信された作品ファイルサイズが非常に大きく、1エントリ分で作品全てを表示することができないため、事務局側の判断で複数エントリに分割していますが、全て合わせて単独の一作品として応募を受け付けた作品です。
このため、先頭エントリ部分のみトラックバック/コメントを受け付けるとともに、先頭以外のエントリではトラックバック/コメントを受け付けないようになっています。
これはエントリーblogのCGIの仕様上の制限に基づく特別措置であり、「レギニータ-XX」を全て合わせて1ファイルの単独作品であるとして、先頭エントリ部分にのみトラックバック/コメント講評を頂戴いただけますようお願いします。

なお、正式タイトルは「レギニータ」で、XX部分の数字はエントリ分割に伴う、事務局による補足的なものです。


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