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良縁は苦し
 疳(かん)の虫というのがある。
 夜泣きがひどかったり、やたらとかんしゃくを起こす子はこの虫が体内にいて悪さをするせいだと考えられてきた。
 これを退治するには手を荒塩で揉んだり、言い伝えで定められた事を墨で書いた後、手を洗い流す。そうして手を明るい光にかざすと指先やツメの先などから細い糸状の物が抜け出てくるのが見えると言う。
 広く知られている迷信の一つで、地域によって少しずつ言い伝えは違う。





 私の娘もひどく夜泣きした。
 普段から落ち着かず、寝る時間が短く、食欲もあまりないようで成長もひどく遅れている。
 娘に振り回される妻もひどく疲れ、やつれていた。弱音を吐くような女ではなかったから決して私を心配させるような事は言わなかったが見ているこちらも辛い。
 私もさすがに心配になってきた。
 見かねた義母が疳の虫を抜いてもらおうと提案した。義母は占いなどにひどく凝っていて、少し気味の悪い陰気で無口な人だった。妻が寡黙なのは母親の影響もあったのかもしれない。
 知り合いに詳しい人がいるから連れて行くという提案に私は同意した。ただの迷信だとは思ったが、それで夜泣きが収まるならそれに越したことはない。少々、気味が悪いと思ったが危険はないと言うし、むしろ昔から良くある話とのことで反対する理由はなかった。



 日曜の午後。その霊能者と称する人のところから戻ってきた妻は義母ともども、ひどく落ち込んでいた。帰ってくるなり玄関口に座り込んでしまう。辛抱強く待っていると、やっと口を開いてくれた。
 なんでも疳の虫は抜けないと言われたらしい。
「この子は生まれながらに持っている気の力が弱く、それを補うために強い虫を持っている。抜いてしまうと身体が弱って命を縮める事になる」
 そう言われたらしい。
 死なれては困るから黙って言う通りにするしかなかったそうだ。
 何の事かさっぱりわからなかったが、彼らには彼らのルールがあるんだろう。



 私は霊能者に頼るかわりに知り合いを通じて医師を紹介してもらった。
 仕事を抜け出して医師に会いに行くと、彼は何でもないという顔であっさりと答えた。
「ああ。そういう事かい。最近はいい薬があるから」
 そう言ってこちらに背を向け、デスクに向かってさらさらと処方せんを書いてくれた。
 あまりにあっけなく解決策を出されて戸惑ったが、ともかく今はこれに頼るしかない。
 薬局でシロップ薬を受けって持ち帰り、妻に薬局での指示の通りミルクに少量垂らして飲ませるようにと渡した。
 妻も私同様、狐につままれたような顔をしていたが、黙ってそれにしたがった。
 現代医学はあっさりと結果を出した。
 それ以来、娘は落ち付いて眠るようになり、それにともなって妻の目の下のクマも徐々に薄くなって行った。





 だが、数ヶ月後、事態は急変した。
 娘がインフルエンザにかかったのだ。
 最初は夜泣きが再発したのか、風邪なのかと思っているとみるみる体温が上がり、病院に駆け込むとかかりつけの医師は険しい顔をこちら向けた。
 インフルエンザは風邪とは違う。ウイルスが広く身体に回ると大変な事になる。
 まさかとは思ったが小児ICUに収容される娘を見て、医師の言葉が軽率な親に注意を促すための脅し文句ではない事がわかった。
 妻は取り乱す様子はなかったが、まるで魂が半分抜けているかのようでかえって心配だった。これなら泣き騒がれた方がまだマシだ。義母はひたすら数珠をこすり合せて念仏らしきものを唱えていた。



 私は病室を離れ、廊下にぽつんと置かれていたベンチに一人座り、目を閉じて祈った。
 それまで神も仏も信じたことはない。
 何でもいい。娘を助けられるものなら助けてくれ。
 そのためならどんなものでも差し出す。なんならこの私の命を持って行け。つまらないものだが足しになるのならそれで構わない。どうせこの先、たいしたことのない人生だ。それで娘にこれから幸せに生きるためのチャンスが与えられるならそれでいい。彼女の人生はまだはじまったばかり。これからなんだ。

 何時間、祈っただろう。
 ふいに身体がグラグラと揺れだし、地震かと辺りを見まわそうとすると足元にあった白い床が目の前いっぱいに広がった。
 祈りが通じたのだ。
 私は心臓麻痺を起こし、べったりと床にのびてしまっていた。
 息ができなくなるほどの痛みで胸を締めつけられていても、頬に感じる床の冷たさが妙に心地よかった。
 極限の苦痛はかえって人を楽にするというのは本当なのかもしれない。



 生死の境をさまよったと言うとありきたりな表現になる。実際、驚くようなことはなかった。光の向うに綺麗な野原や大きな川が見えたり、水辺で死んだはずの祖父母を見たりしたが、あまりにステレオタイプな体験で情けなくなるほどだ。
 だがひとつだけ、まったく普通でない体験をした。
 私は少しの間、意識を取り戻していたのだ。



 私の左側で義母がこちらを見おろしていた。普段は陰気な顔で私には一度も笑顔を見せた事がなかったが、その時は薄気味悪いほどの満面の笑顔だった。
 私は胸の上に大型トラックが乗っているのかと思うほど息が苦しく、目を開けようにも細く開いたまぶたの隙間から外をうかがうのがやっとで指1本動かすのも無理な状態だった。
 だから義母は私が意識を取り戻した事に気づかなかったのだろう。私自身が自分が意識を取り戻したのかどうか良くわからないような状態だったから無理もない。
「おかげで孫は順調だよ。あんたがこうなるのはわかってたのさ。ちゃ〜〜んと占いで出ていた。稀に見る良縁で私たちの血筋を守ってくれるってね。ウチの娘と孫を守ってくれてありがとうよ。安心して冥土に行きな。迷って出るんじゃないよ」
 元気な時なら冗談じゃないと怒りだしたかもしれないが、私は不思議な安堵を感じて深く眠りに落ちた。まるで生まれてきた場所に帰っていくような気分だった。





 目が覚めたのは倒れてから1年以上過ぎてからだった。
 身体を動かそうとしても喉には管が突っ込まれ、何よりも中身がドロドロに溶け、全て流れ出して空っぽになったようで身体に力が入らない。
 ようやく指先が動いたと思ったら金属製の盆を叩き落として中身をバラ撒く音がした。
 ゆっくりと眼球をそちらの方に向けると、腰を抜かした看護士が壁に手を付いて立ち上がろうとしていた。これはあとで聞いた話だが、どうやら私は死ぬのを待つばかりで目を覚ますとは誰も思っていなかったのだそうだ。
 彼女が叫び声を上げならが廊下に出る頃にはまた私は気を失っていた。



 そのあとは医者がどうでもいい事をしつこく質問してきてひどくイライラしたのと、看護士が頼みもしないのにやたらとこっちの目の前に顔を出して覗き込んで来るのにうんざりさせられたぐらいしかおぼえていない。
 それと死にかけてる身体を無理やり引き起こされて、歩くと称して力づくで引っ張り回され、元通りにベッドに投げ込まれて毛布と一緒に詰め込まれた事ぐらいだ。
 それでも私が何とか人並みの知能を取り戻すと、医者は盛んに奇跡だ、奇跡だと繰り返した。実際、長いこと意識が回復しなかったのが突然に思い出したように起き出し、何の後遺症もないのは運がよかったって事なんだろう。
 だが待ち受けていた現実はとても幸運とは言えないものだった。





 母は私が意識を回復した事を泣いて喜んでくれたが、その後はひたすら謝罪を繰り返した。
 私が意識を取り戻す可能性が非常に低いという事で妻と義母は私の母に強硬に離婚を迫った。最初はあと少し、あと少し、と引き伸ばしていたが、とうとう断り切れずに承諾してしまった。
 私がやっていた小さな保険事務所は私がいなければ事業の継続が不可能と言う事で処分され、養育費の足しにと持っていかれていた。孫のためと言われれば断ることもできない。自分一人なら年金でなんとかなるからとあきらめた。
 私の乗っていた車も「意識のない人間にはもう必要もないだろう」と元妻が乗って行ってしまい、そのまま親子ともども姿を消してしまったという。
 あとには何も残らず、こうして病院に来るのだけが心の支えだった、と。
 私は財産と家族とを一度に失った。



 そして、まるで私が意識が取り戻すのと入れ替わるように母が永眠した。
 父を早くに亡くし、女手一つで私を育ててくれたが最後を失意のまま送り出す事になったのが無念だった。



 それから私が考えていたのは私を捨て、母の最後をみじめにし、大切な娘を私から奪い去った元妻と義母への復讐だった。
 実行方法が可能かどうか、その後どうなるのか、それがどんな意味を持つのか、細かいことはとりあえずどうでもよかった。ただひたすら復讐のための決意を固め、そのためにまずは健康を取り戻すのが第一だった。
 それまではしかたなくやっていたリハビリが何よりも重要な意味を持つようになった。
 ただハードなメニューをひたすらこなせばいいというものではない。大事なのは必要な量を正確に見極めて、決してオーバーワークにならないことだ。厳密な管理がものをいう。自分の体力の回復を計算し、メニューの合間の休息でしっかりと身体を休ませる。顧客の生涯設計の試算と大した違いはない。

 だがやはりというか、そういう必死さというのは隠そうとしたところで自然に伝わってしまうものらしい。私としてはつとめて平静にしていたつもりだったのだが看護士の間では噂になっていたという。実際、むこうはプロとして無数の患者を見ているのだから、私がどんなに自分の境遇を嘆いていても結局は類型的な患者の一人という事になってしまう。

 ある時、とうとう独り言をつぶやいているのを看護士の一人に聞かれてしまった。気をつけているつもりだったんだが、むこうもまた気をつけて様子を探っていたのだとあとで聞かされた。
 私は自分よりも年下の看護士にきつく叱られてしまった。
 失ったはずの命をせっかく再び手にしたのだから決して無駄にしてはいけない、過去を見て未来をだいなしにするのではなく、未来のために今を生きろ、と。亡くなった母の分もしっかりしないと浮かばれないだろうと。
 恥ずかしながら私は泣いてしまった。
 きっと私は誰かに止めて欲しかったのだ。自分一人行き残ってしまったこの先をどうやって生きていくのか、その人生に空いた穴をふさぐために下らない復讐をでっち上げて自分をだまそうとしていたのだ。





 私は退院してまもなく、その看護士と結婚した。私が思い切って告白すると彼女は「私が目を離すとあなたは何をしでかすかわかったものじゃないから」と快諾してくれた。
 彼女は私がはじめて目を覚ました時に病室にいたあの少しそそっかしい看護士だった。
 ほどなく彼女は妊娠し、私は再び娘を持つ事になった。
 宅配便のドライバーとして再始動してた私としてはどの辺で新しい職を得ようかタイミングが難しくなってしまったが、これはうれしい誤算と言うべきだろう。
 小さなアパートを借りて、と言いたい所だが、正直に告白すれば彼女の住んでいる所に転がり込む形になってしまった。彼女の方がずっといい所に住んでいたのだ。男としては少々情けない気分だが偉そうな事を言える状態じゃない。

 だが、悪運はまだ私を手放すつもりはなかったらしい。



 娘は5歳になっていた。
 ひどくおとなしい子で親の手を煩わす事のない素直な娘だった。ところが、ちょっとした傷口から菌が入り込み、ひどい壊疽を起こしてしまったのだ。
 今時、そんな事がと思われるかもしれないが、悪性の場合、手の打ちようがないほど進行が早く、切断に至る事がある。
 娘は右肘の下から先を切断した。
 心臓発作で死にかけ、その後の酸欠症状で脳を破壊しかけた私が何の後遺症もなく回復したのに、私の娘がほんの些細な事で腕を失う事になろうとは。できる事なら変わってやりたかった。

 妻は「あなたのせいじゃないんだから気にしないで」と決して打ちひしがれることはなかった。
 これが母親の強さなんだろうか。彼女だって泣きたかっただろうに私の前ではそんなところは微塵も見せることはなかった。
 娘の無邪気な姿が余計に胸に突き刺さった。
 母子というのはこうも似るものなのだろうか。
 2人とも私の前では決して泣き言をこぼさなかったのだ。



 私はそんな彼女の負担を増やさないようにしっかりしなければいけなかったのだが、そんな時だというのに仕事中に交通事故を起こしてしまった。
 娘の事ばかり考えて上の空になりがちだったし、良く眠れない日が続いて寝不足だったのも確かだ。
 だが、そんな事とはまったく無関係に事故は向こうから飛び込んできた。
 青信号を通過しようとしていた所に横合いからものすごい勢いで銀色のセダンが飛び出してきたのだ。まったく減速する事なく赤信号を無視して飛び出してきた車の横っ腹に突っ込んでしまった。あわててブレーキは踏み込んだもののタイヤは悲鳴を上げるだけで配送トラックを止める事はできなかった。
 運がよかったのは衝突したのがトラックの助手席側で運転席のダメージが少なく、私は病院に運び込まれたが軽い脳震とうですんだ事だ。

 私は会社から当分の間、謹慎を言い渡された。ちゃんと呼び戻してやるから、それまでは娘のそばに付いていてやれという会社からの配慮だった。
 妻はやはり「悪い事をしていないのなら気に病むことはない」と私を励ましてくれた。



 不幸が唐突だったように、幸運もまた突然に舞い込んできた。
 事故の後で落ち着かない所に娘が右腕の移植手術を受けられるという知らせが舞い込んだ。最初は何の事か理解ができなかったが、現在は臓器移植の他にも器官移植によって機能の再生を行う事があるという。腕の移植は今までにほとんど例がなく、実験的な治療になるため費用は負担せずにすむがリスクはあると言われた。
 場合によっては腕が定着せずに再切断になる事もあると言われたが私たちに選択の余地はない。
 できるだけ早い方がいいとの事で娘を病院へ連れていく事になった。



 まさか娘を運び込んだ病院で自分の愛車に再び出会う事になるとは思わなかった。
 病院の駐車場で、昔より少しくたびれたそいつが停まっていた。
 元妻はとっくの昔にどこか遠くへ引っ越したものとばかり思っていた。
 以前の俺ならあの車を尾行していたかもしれない。
 だが今の俺にとって全世界は今の妻と娘のためにある。昔のことに構っている暇など無い。



 娘は病院に入院し、妻は娘に付きっきりとなり、私は内勤の仕分け作業ということで会社に戻る事になった。謹慎ということになっていたが収入が無ければやっていけない事情を考慮してもらう事ができて助かった。
 病院に顔を出して妻から娘の状態を聞いて一喜一憂する日々だった。
 心配されたような拒絶反応はなく、娘はゆっくりと確実に良くなっているようだった。
 ただ、慣れぬ病院暮らしのせいか、不安や寂しさで良く泣くようになったという。
 いくら妻が付きっきりでもやはり自宅のようにリラックスはできないのだろう。
 長いこと病院に入っていた私には良くわかる。



 1ヶ月ほどして、会社の弁護士から事故の件は片づいたと知らされた。
 信号無視で飛びだしてきた上、目撃者も多数いたために相手の過失を証明する事ができたからだ。
 それだけはなく、事故で銀のセダンに乗っていた2名は死亡。遺族もその後、自宅の火事によって死亡したため、賠償金を支払う相手がいなくなってしまったのだ。
 人の不幸を喜ぶのは良くないが、危ういところで危機を逃れたというのが正直な気持ちだった。
 電話を切った後も、まるで全てが悪い冗談のように思えた。





 事故から2年がたち、娘は退院し、私たち家族の生活も徐々に平静に戻りつつあった。
 だが元に戻らない事もあった。
 入院の日以来、よく泣くようになった娘は退院しても収まる気配が無かった。
 夜になると泣き出して妻を起こしたり、食事中に急にかんしゃくを起こして手元の物を投げつけたりする。
 夜泣きするような年じゃないし、小さな頃はまったく手のかからないおとなしい子供だった。入院したせいで反抗期がズレてやってきたのかもしれない。
 いずれにしても妻は手を焼かされていた。
 反面、不思議なくらい私の言うことはよく聞く。その事がさらに妻を苛立たせているようでもある。
 いろいろな事が頭を駆け巡ったが、それは私の心の底から浮かび上がるひとつの答えを打ち消すために無意識のうちに作り出していた言い訳だったのかもしれない。
 私はその症状に心当たりがあった。
 娘に疳の虫がついたのだ。

 また、その事が忘れていたもう一つの事実を思い出させた。
 娘の移植手術の日に病院で見た私の車。あそこには私の元妻がいたのだ。
 私は事故を担当した会社の弁護士に、詳しい説明を受けたいと説明し、彼に会いに行く事にした。約束の日までにいくつか調べておいてくれると約束してくれた。



 弁護士の事務所に行くと、すぐに来客用の部屋に通された。小さな応接セットの収まったその場所は、密談をするのにちょうどいいように、余計な物は何も置かれておらず、女性の事務員が茶を運んでくると、2人っきりになった。
 梅雨の湿気含んだ空気のせいでまとわり付くシャツがひどく不快な日だった。
 人の良さそうな柔和な顔の弁護士はいつもなら顧客を安心させる暖かな笑顔で迎えるのだろうが、今日は梅雨空が伝染したかのような顔だった。
 彼が差し出したファイルには私がもっとも怖れていた事が書かれていた。

 私のトラックの前に飛びだした車を運転していたのは元妻の再婚相手だった。
 再婚で名字が変わっていたために誰も気づかなかったのだ。ファイルを見ても私自身も気づかなかったかも知れない。だがこうして元妻と生き別れとなった娘の名前が並んでいれば一目瞭然だった。
「警察によるとですね、相手の運転手なんですが、何でも助手席に座らせていた娘に気を取られてよそ見をしているうちに事故を起こしてしまったんだそうです。病院に運び込まれて亡くなるまで、ずっと自分の不注意さをなげき続けていたそうです。助手席にいた娘さんの方は頭を打って脳死状態になったんだとかで」
 そう言ってハンカチで額の汗を拭った。

 2人が運び込まれたのが、娘が移植手術を受けたあの病院だった。だから元妻が私の車で駆けつけていたのだ。
 元妻の母親はその時点では既に亡くなっていた。つまりもう「良縁」を見つけることはできなかった事になる。自業自得と笑いたい所だが、そのせいで元妻との間の娘も死んでしまったのだ。
 胃袋中で小さな氷の固まりが生まれ、徐々に大きく育って行く。ファイルをつかんでいた手が震えるの抑える事ができなかった。
「移植の提供者の情報は調べる事ができないことになっているんですが、たまたまその病院を退職した看護士がいましてね。こちらの調査員が話を聞く事ができたんです。助手席に乗っていらした娘さんが提供者だったそうです。あなたの娘さんよりも3つも年上だったそうなんですが、とても成長が遅い小柄な娘さんだったので、サイズがぴったりだった、と。何よりも強い決め手になったのが組織適合性の抜群な高さだったそうで」

 その直後、元妻も火災でこの世を去る。火元が複数あり、自殺も疑われるようなケースだったらしいが不審火で処理されたと言う。
 火が広がった後で明らかに元妻が近づけなかったと思われる場所からも出火していたからだ。
 そこにはまるで子供が火遊びをした後のようにマッチやライターが転がっていたという。

 その後、私はどうやって家まで戻ったのかおぼえていない。
 気づくと土砂降りの雨の中でアパートの窓を見上げていた。





 その日は朝からひどく雨が降っていた。
 弁護士の話を聞いてから2ヶ月ほどがすぎていた。
 娘の手は傷痕こそ残ったものの、不自由のない生活が送れるようになっている。
 娘はリビングでテーブルにもたれて眠っているようだった。
 夏休みで暇を持て余している上にこの雨では眠くもなるだろう。
 雨音はうるさいほどだったが久しぶりに涼しくてすごしやすい夏の終わりの午後だった。

 私は後ろからそっと近づいて、娘の右手の下にあるスケッチブックを覗き込んだ。
 あの日以来、今でもこうしてリハビリをかねて絵や字を一生懸命書いていたのだ。
 そこには案に相違して何も書かれていなかった。
 書く前に眠ってしまったのだろう。

 子供はそんなものだ。そう思った時、娘の手が起き上がってオレンジ色の色鉛筆を画用紙に付けた。
 娘は眠っている。間違いない。何より右頬をテーブルにつけているから頭の後ろにある右手の動きは見えないハズだ。
 それじゃ何も書けっこない。
 だが迷いなく線は引かれて行く。



 パパはやっぱりパパが一番。他の人なんてダメ。
 でもパパが変な男をトラックで殺してくれたおかげでこうしてパパの所に帰ってこれた。
 じゃまする人はもういないよ。
 ありがとうパパ。これからもずっといっしょだよ。

 しばらく色鉛筆が止まった後、紫色の鉛筆に持ち替えてからまた文字を書きはじめる。

 善き縁(えにし)に結ばれた私たちの繋がりはどこまでも永久に続いて行くのよ。あなた



 色鉛筆を握る娘の右手の指の先から非常に細い釣り糸のような半透明な何かが無数に生えていて、まるで水の中で水草が揺れるようにゆらゆらと空中を漂っていた。
 私は凍りついたようにそれを見つめていた。
 急に娘が火がついたように泣き出した。
 あわてて娘を揺り起こすと、糸のような物は見えなくなっていた。

 私は自分が死にかけ、3人が私の前から姿を消した事で縁は切れたと思っていた。
 だが「良縁」は私が考えているよりもずっと私たちを強く結びつけていたのだ。
 元妻の一族の血脈とこの私とを。
 死さえも乗り越えて。





 それからもあいかわらず娘は泣き叫び、暴れ、妻に手当たり次第に物を投げつける。
 かと思うと突然、泣き出してひざまずいて許しを乞う。
 まるで娘の中で複数の人格が主導権をめぐって争っているかのようだ。
 その争いは日々、熾烈になって来ているように思える。

 私は悩んでいる。
 娘を医者に見せるべきか、霊能者と呼ばれる人に相談に行くべきか。
 だがどうなれば問題が解決したと言えるのだ?
 誰が残り、誰が消え去り、誰がそれを選ぶのか。
 今の私には決断を下す勇気がない。



12:27, Tuesday, Sep 08, 2009 ¦ 固定リンク ¦ 講評(12) ¦ 講評を書く ¦ トラックバック(4) ¦ 携帯


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受信: 22:09, Friday, Sep 25, 2009

■講評

なんだかめまぐるしいですね…。
正直、付いていけないので、ここまで展開するなら、ゆっくりと読者の手を引くように、滑らかに文章を運んでもらえると良かったかなぁと思います。

名前: PM ¦ 19:37, Wednesday, Sep 16, 2009 ×


なるほど、このテーマ解釈は斬新ですね。
じわじわと迫る恐怖を描ききった点は評価に値します。
が、その長さの割りに意外性がありません。
ブロックごとの描写に力を割きすぎて長文になり、肝心の娘の豹変や血縁の呪いの恐怖を薄めてしまっています。
2人目の妻との出会いは、本筋とは関係ないので切っても良かったかと。

アイデア+1
構成+1
文章-1



名前: もりもっつあん ¦ 23:06, Wednesday, Sep 16, 2009 ×


恐怖度1
文章力0
構成力0
アイデア1
結構読み応えがありました。
期待を裏切るどんでん返しの連続で、発想も斬新な部分があると思います。
主人公の視線からずーっと描かれているので、これだけの長さなら別の登場人物から視点を変えてかかれてみてもよかったかもしれません。
因縁から始まり、死んだかと思えば死なずに続く、不気味な話ですね。

名前: 妖面美夜 ¦ 19:58, Friday, Sep 18, 2009 ×


・アイディア+1
 疳の虫と元娘・元妻が、良縁で結ばれた主人公の元へ、移植によって戻ってきた、という話だろうか。で、現娘と一緒に多重人格になっている、と。
 パターンな気もするが、多重人格にまで話を進めていることを評価して。+0.5くらいだが、四捨五入。
・描写と構成−1
 「だらだら長い」。申し訳ないが、この一言で講評は済むと思う。書かれた方は、他人の文章を読んで、「冗長だな、ここら辺はいらないだろう」と思うことは無いだろうか。その感覚を自分の文章にも適用してみると良いと思う。
・怖さ±0
 怪談としてはありふれた域の話のように思う。締め方は、その手の雰囲気が出ていて良いと思う。
・買っても後悔しない魅力−1
 だらだら長くて内容が普通、となると、魅力がないように思う。

名前: わごん ¦ 00:10, Monday, Sep 21, 2009 ×


疳の虫という迷信を、血脈によって受け継がれる呪いのようなものに昇華されたところが面白かったです。腕を移植された娘さんのことを思うと、何とも言えない絶望感が湧いてきます。

最初に出てきたシロップを処方してくれた医者に診せる、というのはダメなのかな。と読後、一番に思いました。このシロップが何なのか伏せられてるのが、すごくもどかしいです。

*アイデア+1 *絶望感+1
*恐怖−1

名前: げんき ¦ 23:16, Tuesday, Sep 22, 2009 ×


発想+1 文章0 構成ー1 恐怖0
書き方次第ではもっと面白い筈の話だと思います。
ほとんど主人公の独白だけで進んでいくのですが、独白は、長すぎると説明文になってしまいがちです。
もっと会話文を挟んで、その会話の中である程度話の流れがわかるように持っていき、独白や状況描写で足りないところを補う、というのもひとつの手かと思います。
あまり長くなり過ぎないように簡潔に表現しようとして、却って裏目に出てしまったのかなあ、といった感じです。

名前: 戯作三昧 ¦ 04:52, Thursday, Sep 24, 2009 ×


 いろいろと盛り込んであって、盛り沢山で良かったんじゃないでしょうか。

 構成としてどう組立てて行くのか、そのあたりももうちょっと気を使ってあると良かったかもしれませんね。
 アイディアを盛り込むだけでなく、完成した所から逆算する事も必要だと思います。

【アイデア】+1、【描写力】+1、【構成力】0、【恐怖度】0

名前: ユージーン ¦ 22:11, Thursday, Sep 24, 2009 ×


発想も良く、展開も良いのですが、何しろバランスが悪い。
思い描いた事を書き連ねて出来上がった作品でしょうか、計算が行き届いていないと思います。

もう少し引いた文章を考えてみられては如何でしょう。

発想・1 構成・0 文章・-1 恐怖・0

名前: 三面怪人 ¦ 22:32, Sunday, Sep 27, 2009 ×


倒れるほど心配していた娘のことを意識を回復した際に全く気にかけてないのが、やはり不自然に感じました。
因果あるいは奇縁とでもいうものがテーマだとは思うのですが、後半巡り合う奇縁が凄すぎて非現実さが際立ちすぎたようで、すんなり感心できなかったです。

アイデア    0
文章      0
構成      0
恐怖度      0


名前: 鶴の子 ¦ 19:07, Monday, Sep 28, 2009 ×


何となく、奇跡体験アンビリバボーのような展開ですね。
書き方もアンビリバボーのようなざっくりとした感じなので、人物にも感情移入がしにくいんじゃないかなと思います。
やっぱり小説では、このような書き方はちょっとしんどいのではないかなと感じました。
怒濤の人生がこれでもかと限りなく続く流れなので、全体の引き締めがもう少し必要に思いました。

構成力・−1

名前: 気まぐれルート66 ¦ 22:03, Tuesday, Sep 29, 2009 ×


この作品もタイトルで少し損をしているように感じます。内容はきちんとしているだけに、もっと良いものがあったのではと少し残念。

名前: 読書愛好家 ¦ 23:43, Thursday, Oct 01, 2009 ×


 前の娘や元妻が、そこまで主人公に粘着する理由が「良縁」というだけじゃ、ちょとね。そこまでモテモテなのは羨ましいけどw。
 着眼点がいいだけに、主人公以外の人間の心や思考が伝わってこないのが残念でした。

名前: あおいさかな ¦ 00:25, Friday, Oct 02, 2009 ×


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