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蠱術迷宮
―1―

 塔は二重螺旋だった。
 壁を巻いてのぼる螺旋階段と、中央のレンガの柱を巻いてのぼる螺旋階段と。
 二つの階段をつなぐ通路が直線的に交差している。
 あかり取りか、あるいは銃眼か――小さな正方形の穴が、いたる所に開けられている。そこから差しこむ光もまた、さわやかな交差する直線となる。
 光と影の交わるなか、内側の螺旋階段をのぼる人間がいた。
 熱帯の鳥を髣髴とさせる、極彩色のワンピース。腰まで三角形に広がる、波打つ黒い髪。
 まだ七つか八つの女の子だ。
「コトコ......コトコ......わたしはコトコ......」
 黄色いガラスのような声で、女の子は唱えている。
 そうしなければ忘れてしまうと、彼女、コトコは思っている。
 薄暗がりに天井が見える。
 きっとあれが出口。

 ひとりひとり、身を隠す、『わたし』という記憶。体のなかに蓄積された日々という名の小部屋。小部屋から放逐された理由など何も思い出せない。
 過去に見放されたる肉体。経験との回路を閉ざされた、空漠たる思考。
 水面のような廊下にいる。逆さの自分と足裏(あうら)をあわせ、コトコは歩いている。アーチ天井はガラス張りで、洗ったような青い空を、純白の雲が流れていく。

 ドアを開けると食堂だった。廊下の延長のような部屋を、長いテーブルが占めている。テーブルには白いクロスがかかり、三叉の燭台が並んでいた。
 そして女がいた。
 実際には十代半ばか、後半程度の歳でしかない。それでもコトコには、自分と比べてとんでもない大人に見える。
 サイドテールに結った、ダークチェリーの髪が最初に目に飛びこんだ。驚きをこめて見下ろす目。白を基調とした修道女のような着衣は、彼女の清楚な顔立ちに、とてもよく似合っている。
 四月の丘から生えてきたような、そんな存在感......が、ドアを開けると立っていた。
 少女は、左腕が肘までしか無い。
 服の袖も、傷口が隠れる長さで切り取られ、古い血で固まっている。
「行かないで」
 コトコが抱いた怯えを見抜き、少女が声をかけた。外見どおりの優しい声だった。
「どこから来たの? あなたは誰?」
 立ちつくすコトコに歩み寄り、そっと膝を折った。その所作がコトコの緊張をほぐした。
「わたしはコトコ。お姉さんは?」
「そう......コトコちゃんね」
 名乗ると、少女は目を細めて微笑みかけた。
「私の名前はプラガット。どこから来たの?」
「お姉ちゃんは?」
「私はずっとここにいるの」
「ずっとって?」
「長いあいだよ。だから、どこから来たのか分からないの」
 そう言って、右手を伸ばし、コトコの肩を撫でた。
「コトコちゃんは、どうやってここに入ってきたの?」
「......階段から......」
「建物の外に出れる?」
「うん」
 プラガットは微笑を強める。コトコではなく、自分のために。心をなだめる為に。そういう笑顔だった。
「ねえ......私をその場所に連れて行ってくれる?」

―2―

 コトコはプラガットを連れて、紫の図書館まで戻った。紫の図書館は吹き抜けの二階構造で、絨毯もタペストリーも全て、濃さの違う紫で統一されている。重い樫材のドアを開けると、図書館の二階に入れる。
「私ここ......」
 戸惑いとおそれを漂わせ、プラガットは入室を躊躇った。
「ここは、何度も来たことある......」
「お姉ちゃん、どうしたの?」
 本棚の列へ飛びこんだコトコが、服の裾を翻して振り向いた。
「コトコちゃん、本当にここから来たの?」
「そうだよ。この先に階段と橋がいっぱいあるんだよ!」
「階段と橋......?」
 プラガットの布の靴が、絨毯に踏みこんだ。
 書棚の列を抜けると、真鍮の手すりがあり、一階を見下ろすことができる。吊られたシャンデリアの光が、温かく凍っている。手すりを掴んで見下ろすと、本棚の平たい頭が視野いっぱいに広がる。
「お姉ちゃん、あれ全部本なの?」
「そうよ。本は好き?」
「うん」
 コトコは目を輝かせた。
「......そう。でもここにあるのは全部、古いし、珍しいし、難しいものばかりよ」
 二人は手をつないで、一階部に下りる階段を目指した。
「ねえ、お姉ちゃん、どうしてお姉ちゃんの左手短くなっちゃったの?」
「知りたい?」
「うん」
 仕方なさそうに笑ったまま、ぬるい手をほどいた。そのまま左腕の袖に手をまわし、そっと捲りあげた。
 肘より、さらに短かった。
 血の色が赤茶にしみこんだ骨が、長く突き出ている。
 骨の形はぎざぎざだった。意図的に削ったように。
 傷口を見る勇気はなかった。ただ骨の先を見つめるコトコに、優しい声が説明した。
「ここには、たくさん扉があるのよ。私が先に行けないように、鍵がかかってたの」
 耐え切れず顔をそむけたコトコに、彼女は話し続ける。
「鍵がなきゃ、前に進めなかった。でも進んでも、進んでも、外はどこにもなかった」
 一階部に、空間を見つけた。二階部を支える柱の間に小さなステージがある。扇形のステージには、木の箱が置かれている。
「あれはなに?」
 コトコは叫び、なかば逃げるように走り出した。階段を駆け下り、分厚く古い背表紙の間を奥へ走りぬける。少ししてプラガットも走ってきた。
 ステージに上がると、木箱は思ったよりも大きかった。高さは、コトコのへその辺り。幅は両腕を広げたくらい。暗い褐色木肌に、直線状の木目がある。
 てっぺんに見たこともない図象が刻まれている。
 雑な手彫りだった。
 ぼんやり口を開け、埃を払う。

『Retreat Route to Eternity』

 コトコは見慣れぬ図形列を、何度も目でなぞった。
「ねえ、ねえ、これなに? なんの模様?」
「模様? ......これは文字よ」
「文字? ちがうよ。こんなぐちゃぐちゃの線は文字じゃないよ」
 プラガットは隣に並び、じっとコトコを見ていた。優しい言葉でものを考える人だけが持つ、眼差しである。
「コトコちゃんは、どこから来たの?」
「階段が――」
「うぅん。生まれた国の名前を、教えてくれるかな?」
「――わたし......」
 コトコははたと困った。
 この建物の内部には、大きな大きな穴を通ってきた。
 真っ暗闇の中に、青く光る階段と橋が入り乱れ、その果てに、この建物にたどり着いた。
 大きな城だと思っている。
 だが城の外観さえ見ていない。
 広ささえも知りようがない。
「ここに来る前のこと、何もおぼえてないもん」
 プラガットは、また黙って考える。
 息をつき、木箱に腰をかけた。コトコのわきの下に手を入れ、隣に引き上げて座らせた。
「きっと――コトコちゃん。私とあなたは、違う世界から来たの」
「ちがう世界?」
「ええ。私も最初そうだったの。だけど、あなたはもっと遠くから来たみたいだね。言葉も全然違うくらい、遠い世界から......」
「それってどういうこと?」
「どうでしょう......」
「わたし、悪いことをしたの? ここに来ちゃあ、ダメだったの?」
 幼い目に影がさした。
「......だとしても、私たちは悪くない......」
「わたし、悪くないの?」
「きっと悪くないわ」
 囁くような声なのは、震えを隠そうとしたからだろう。
「お姉ちゃん?」
 書棚を見据える目が、涙をたたえて充血している。
 プラガットが、右腕で、コトコを膝に抱き寄せた。

「これは、この世界の物語」
 紫の図書館に、ひそかに少女の声が響く。
「ある日、神様たちがお部屋に寄り集まって、お戯れでこの『小さな世界』をお創りになりました。だけどどうしても気に入らないものを、手違いで二つ作ってしまったのです」
「それはなぁに?」
「虫と、人間です」
 コトコは足をぶらぶらさせたまま、プラガットの膝に頭を預けていた。
「なぜなら虫と人間は、神様たちが住む『大きな世界』には決して存在しえない容姿の生き物だからです。大きな世界の神様たちは、人間には想像もつかない姿かたちをなさっているのですよ。
 神様たちは、お集まりになって、両者をどうするか決めました。
 互いの醜い容姿を嫌い、争いあうようにしよう――」
 プラガットは、話しながら、コトコの髪をなで続ける。
「人間は、大きくなって、虫を叩いて殺すようになりました。
 虫は、環境に適応する力を強め、人間に菌や疫病をもたらすようになりました。
 そうやって決着がつかないままに、時が流れました。
 ある日、神様の一人がこんな事を考えつきました。
 人間と虫をあわせたものを、作ってみたらどうだろう。
 人間の容姿に虫の魂をいれ、世界に撒いたら、それらはどんな働きをするだろう。
 その者たちは、人間と虫と、どちらを選ぶだろう――」
 ときおり指が、耳に当たる。
「――そうして作られた新しい種は、『蠱(こ)』という名前がつけられました。作ってみたら人間も虫も、心の在りようはあまり変わらないことが分かったのです。蠱、たちは、それぞれの理由で虫を選び、人を選び、喧嘩をはじめました。
 全ての蠱が己の正体に目覚めているわけでもありません。
 虫を選んだ蠱の姉を、自分を人間だと思っている蠱の弟が殺した、っていう、そんな話も聞きます......」
「二人とも、かなしくなかったの?」
「分かりません。でも、いずれにせよ、全ての蠱は争いあうよう運命付けられているのです。そうして最後に生き残った蠱に、『選ぶ権利』が与えられます。争いの悲しみと怒り、そして勝ち残ることで証した強さで、どちらかの種を滅ぼすのです」
 黒髪から、白い指が引き抜かれた。
「――さっ。これでお話はおしまい。コトコ、もう疲れはとれた?」
「うん」
 コトコは身を起こし、箱から飛び降りた。
「こっちだよ、お姉ちゃん! この図書館は塔につながってるの!」
 そう言って走り出すから、見失わないように慌てて、プラガットも駆けた。

 コトコは強い自信を持って、両開きのドアを押した。
 だが先に広がる光景は、想像より遥かに明るかった。
 無機質な白い照明が、広間に降り注いでいる。
 網模様の浅い溝が張り巡らされ、広間の中央に集まっている。
 そこに円形分水の噴水があり、裸婦の像が担ぐ水瓶に、蓋がなされている。
 ――嘘だ。
 扉を間違えたかと思ったけど、そんなはずはない。他に扉はない。
 二重螺旋の塔の天辺が、図書館につながっていたはずだ。騙された気持ちで佇んで、乾いた溝と石組みの花壇を眺めていると、プラガットが追い抜いた。
 もの言わぬ背中がコトコを見ている。
 そうだ。騙したのは自分になってしまう。塔にたどり着かないと――。
「――この先が塔、だったのね」
 振り向かずに言われた。
「信じるわ、嘘ついたわけじゃないって」
 隣に立つと、息が詰まるほど悲しげな目をしていた。
「ちがうの、お姉ちゃん! わたしこんなトコ通ってない!」
 口の端に、プラガットは笑みを乗せた。
「ええ。でもね、私は何度もここに来たことがある。あの時は、あそこから、まだ水が流れててね。オモチャの鳥や、オモチャの楽士がたくさん動いてたわ」
「ちがうの!」
「これがこの世界よ」
 コトコはただただ声を失う。
「どうやらあなたの事も、出してくれないみたいね」
 ――ブン。
 同時に二人が噴水の裸婦を見た。
 羽音が聞こえた。
 そちらからだと直感が働いた。
「お姉ちゃん、あれ」
「コトコ、駄目!」
 プラガットが制止したが、小さな橋を渡って噴水に急いでいた。
 裸婦の腕にぶら下がり、台座を蹴って水瓶に顔を近づけた。
「お姉ちゃん、ここから聞こえるよ! ブーンブーンがいっぱいだよ!」
 動く、気配がした。
 石膏を削る音を立て、コトコの頭上で水瓶の蓋が、勝手にじりじり動く。
 落ちる、と思った瞬間、大量の黒い霧が水瓶から噴き出した
 霧ではなく、虫だった。大量の黒い羽虫。羽虫の柱が天井まで吹き上げ、これが水瓶の容量を超えている可能性に気付いた。と、凄まじい羽音を両耳が受け付けた。
「コトコ、逃げて!」
 慌ててプラガットへ駆け寄ろうとすると、羽虫の群れが流れ落ちて、二人の間に壁をなした。
 振り向くと、水瓶からはまだまだ羽虫が吹き上げている。
 その向こうに鉄扉が見えた。
 コトコは夢中で駆けこんで、その部屋に身を滑らせた。
 会議室のようだ。簡素な内装で、細長い机が四角形に並んでいる。
 鉄扉を通じて羽音が聞こえてくる。
「お姉ちゃん......!」
 一瞬、声が聞こえた。
「お姉ちゃん?」
 いいや、それは羽音である。冷たい扉に頬を押し付け、外に耳を澄ませた。
 聞こえる気がする。
 何を言っているのか、分かる気がしてくる。
『殺せ』
 いきなりはっきりと、男の声として認識できた。
『コトコよ、プラガットを殺せ』
 手で思い切り鉄扉を突き、反動で尻餅をついた。
『お前は、その為に生まれてきたのだ』
 甲高い声で悲鳴を上げたが、かき消すことはできなかった。
 扉の向こうに大きな意思がある。何か邪悪な意思が。
『お前たちは、最後の一人まで殺しあうために作られたのだ』
 あの広間いっぱいに羽虫がいるのだ。
 それが巨人の形になって、この鉄扉を覗きこもうとしている。
 そんなイメージが頭の中に展開した。
「――そんなことないもん! お姉ちゃん優しいもん!」
『プラガットはお前に殺されると思っている』
 一瞬、頭が空白になる。
『お前もだ。お前もそうやって生き延びてきたではないか。急な世界移動のショックでまだ何も思い出せまいが、お前も殺し、奪いあった結果、ここに存在するのだ』
「うっ、嘘――」
『理由はとうに知っているはずだ。もう一度命じる。蠱として、プラガットを殺せ――』
 声は、羽音の中に吸いこまれていった。
 コトコは両手で耳をふさぎ、かたく目をつぶった。そして両膝に顔をうずめると、うずくまって泣き叫んだ。

―3―

 いつしか羽音が止んだ。
 コトコは長らく動かなかった。
 完全な静寂があるばかりになると、今度はそのことに耐えられず、衣擦れの音と共に立つ、
 ドアレバーを下ろし、外を窺う。
 そこに虫など一匹もおらず、プラガットの姿もない。
 出てみると、裸婦像の腕の中が空っぽになっていた。水瓶が持ち去られている。
「お姉ちゃん......」
 やはり他に誰もいない。コトコは図書館への扉を開けてみた。知らないところに通じていないか怯えたが、無用だった。
 後ろ手で扉を閉じた時、ざあっ、と髪を撫でられた気がした。
 慌てて振り向くが、扉しかない。
『殺せ』
 悲鳴で抵抗して、図書館の奥に走る。
 うす暗いステージに駆け上がる。目についた木箱の陰に隠れようとする。
 木箱の蓋が外されている。
 いきなり中身が見えた。
 敷き詰められた白い布の上に、大人の顔面ほどの大きさの五角形の枠組みが置かれている。それぞれの角に円形の膨らみがあり、また五角形の内側も、円形になっている。指の股がきれいに収まるようにか、四本の仕切り棒が、ある辺からはえて伸びていた。
 陶器のように白く滑らかで、触れると、金属のように冷たかった。これが何でできた物なのか、コトコにはよく分からない。
『さわったな!』
 少女の声が、五角形から放たれた。プラガットの声ではない。もっと粗暴だ。思わず指をひっこめたコトコは、確かに睨みつける視線を、五角形から受けた。
『まあいい。アタシの声が聞こえるでしょ。――聞こえてるでしょ!?』
「はいっ!」
 叫ぶように返事をした。
『前置きはなしよ。あんた、虫の声をさっき聞いたでしょ? さっきアタシにケツのっけてた女と殺しあえっていわれたよね』
「う、うん」
 その苛立った口調は、コトコを責めているように聞こえた。何かコトコに思いつかない解法をくれるのかと、思った。
『アタシを使って殺しなさい』
 だが、期待はあっけなく壊された。
『アタシを持って』
「でも......」
『死にたくなかったら早くしな! 指をひっかけるトコがあるでしょ?』
 コトコはさっき鈴に触れた右手を、左手で隠したままだ。
『......あーもー、じれったいガキだね! いい? これがあの子を助けることにもなんのよ!』
「ほんと?」
 思わず手を伸ばした。
 右手の指を全部絡ませると、驚くくらい軽々と持ち上げることができた。
『うぅん、ウソ』
 五角形は鈴だった。五つの円形の中で、それぞれシャン、と音がした。
『よぉし。これでアンタがアタシの持ち主だ。アタシの声はアンタにしか聞こえないよ。いいかい? 言われた通りにするんだ。まずは後ろ振り向いて』
 考える余裕もないままに、書棚を振り返る。
 プラガットが立っていた。
 近くの書棚に背中を預け、ステージの下からコトコを見ていた。
 優しい表情はなかった。とても、とても冷たい目を、うす暗い場所から向けてくる。
「......コトコ、それを箱に戻しなさい」
 プラガットは右腕とわき腹の間に、あの水瓶を挟んでいた。掌で蓋を押さえている。コトコは、従おうと思った。
 そんな目で見られたくなかった。
 だが意に反して右肘が曲がる。
 鈴の音が鳴り響き、盾のようにそれを構えていた。
「――蓋を開けたのはあなた?」
 小さな声だ。コトコに聞いた様子ではない。右手の鈴も何も言わない。
「――そう。やっと......話し相手ができたのに......」
「お姉ちゃん......」
 コトコは必死に首を振った。何か言うより、鈴を手放せばいい。そう理解しているはずなのに、体が動いてくれない。
 それどころか肘がスッと伸び、鈴を突きつける形となった。
「分かり合えるって、思ってたよ」
 プラガットが水瓶の蓋をずらす。
「ずっとここ閉じこもっていれば、他の蠱と交わらずにいれば、私たち仲良く一緒に過ごせるって......」
 水瓶の蓋が絨毯に落ちる。
 瞬時に黒い羽虫の群れが、コトコ目がけて迸った。
「お姉ちゃん!!」
 鈴に操られるまま、右腕が真横に空を薙ぐ。
 銀糸のような水が鈴から溢れ、羽虫へと飛んでゆく。
 コトコは踊るように、身を翻しながら鈴を振り続けた。

 しばらく記憶がとぶ。
 気がつけば、鈴を抱えてステージに座っていた。
 ステージの下では、プラガットが死んで倒れている。服も肌も鋭い刃に裂かれて真っ赤に染まっている。水浸しなのは、その刃が全て高速で噴射された水だったから。
 その死を確かめたくはなかった。
 まして自分がやったことだと思えるはずがない。
 それなのに......それなのに。
 抱えこむ鈴をどうしても、手放すことができない。

 あの水瓶もまた、そばに砕け散っていた。

―4―

『行きな』
 鈴が静かに、しかし厳しく言った。
『さあ。アタシはアンタみたいに自分で歩けないんだ』
 コトコは空ろな目をしている。口もだらしなく開けたままで、何の表情もない。
 そのまま、持ち上げられるように立った。
 重たげに鈴をぶら下げて、プラガットの真横を過ぎる。

 扉を開けると、暗かった。
 見覚えのある二重螺旋を認め、コトコの目に光が戻る。
『......あの子がアンタと違うのは』
 鈴が喋りはじめる。
『この世界で過ごしすぎたのさ。どこから来たか思い出せなくなるほど。あの子だってウンザリしてたんだ。殺し合いを続けるくらいなら、引きこもってたい、て』
 黄昏の陽が、来た時より優しい線の質感で、薄闇に差している。
『あの子は自分から出口を消し去ったんだ。その不甲斐なさを紛らわすために、ああして自分の骨まで削ってた......』
 コトコは閉じた扉のノブを、体温が移るまで握っている。
『歩きなよ、真っ暗になるよ』
「本当なの?」
『なにが?』
「わたしは前も、お姉ちゃんみたいに殺してきたの?」
 力ない声に、少しだけ思案して、鈴は口調を緩めた。
『さぁ、ね。アタシはアンタじゃないから、ちょっと分からないよ。だけどアンタが下らない殺し合いをやめる方法が一つだけあるよ』
「教えて」
『歩き出したらね』

 薄れていく光の中、コトコは螺旋階段を下りる。
『アンタがアンタをやめることだ』
 鈴の声がコトコの周りに響く。
『人間になれなんて言わない。ただ蠱であることをやめればいい』
 聞いているのか、いないのか、コトコは呟き続けている。
「わたしは、わたしの名はコトコ......」
『......アタシの記憶をあげるから。アンタほとんど記憶がないから、融合の際の抵抗も並みの奴らより少ないはずだよ』

「ずぅっと、ずぅっと遠くにね」
 左手でなぞる壁だけが、女の子の頼りだった。
「アンタが知らない世界がある。幽霊さえ利用しうる文明。かつてそこから、人間のために武器がばら撒かれた。ばら撒いた使いの者たちは、既に大半が死んだ」
 ――知っている。
 その話はとっくに知っている。
 初めて聞くはずの話なのに、もうずっと前から知識として憶えていたような気がする。
 鈴の声は耳から聞こえない。
 独白のように、頭に存在する。

 その武器がアタシの正体さ。
 武器の名は、ここからは近いけど、その世界にとっちゃ遥かに遠い世界から伝えられた言語で名付けられた。

「あーる......大きなあーるだよね。Rは、『あーる』。小さい文字は......」

 やっぱ、子供は浸潤が早いね。いいかい、それはアタシの知識だよ。でももうすぐアンタのものになる。こう喋ってる『アタシ』と『アンタ』さえ、じきに区切れなくなる。
「わたしは......わたしは......わたしの名は......」

「ふたつの『あーる』と、ひとつの『いー』......」

 果てなき闇の奥底へと、声は沈んで消えた。



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受信: 03:02, Monday, Sep 28, 2009

■講評

まず、遺伝元「闇は誘う」と完全に地続きなのが気にかかりました。RREを最後に持ってくる必要はなかったのでは。
会話が多いのも若干野暮ったく感じました。
とはいえ、これだけしっかり構築された世界観は圧巻です。食わず嫌いなジャンルの話でしたが興味深く読めました。

文章+1
構成-1
設定+1


名前: もりもっつあん ¦ 00:42, Friday, Sep 18, 2009 ×


発想ー1 文章0 構成0 恐怖0
最後の言葉を何やら意味ありげに書かれても、遺伝元の話を知らなければ何のことかさっぱりわかりません。
また、遺伝記でもそうでしたが、どうもホラー的な要素の少ない話が多すぎる。
ホラーファンタジー・SFホラーであればいいのですが、この話をそう捉えるには難があります。
面白ければ何でもいいと僕は思うのですが、とくに感じるところもありませんでした。

名前: 戯作三昧 ¦ 23:01, Tuesday, Sep 22, 2009 ×


ううーん。
この話だけでは、世界観があまりよく見えませんね。
遺伝元の話があって初めて成立してるなぁという感じでした。
展開としても予想通りだったので、今ひとつ、楽しめる部分がなかったのも残念に思えます。


名前: PM ¦ 19:53, Wednesday, Sep 23, 2009 ×


・アイディア+0.5
 神様に嫌われた虫と人間の争い、が、どちらも疎まれていて面白いと思った。蠱(こ)、選ぶ権利、出られない世界、誤解が招く悲劇、意志持つ武器、等々は全て、極めてありがちに感じた。
・描写と構成+0.5
 描写、プラガットという名前のセンスや、武器の能力設定が面白いと思った(←アイディアではなく、描写の評価に属する部分だと思っている)。文章に関しては、ライトノベル的な平均水準を満たしている……っぽい。会話は自然に感じる……っぽい。
 詩的な「ひとりひとり、身を隠す、『わたし』という記憶。」の所で「おっ」とか思ったが、読み進めていくとそうでもなかった。「体のなかに〜〜、空漠たる思考。」は、記憶喪失と言いたいのだと思うが、とても分かりにくい。最後に『何も思い出せない。』とか、はっきり付け加えていいと思う。
 構成、可もなく不可もなく。

・怖さ±0
 救いの無い結末を書きたかったのだろうか。RRE誕生秘話で締められると、あまりそうにも感じられなくなってしまう。現状では、色々とアピールが足らないと思う。
 これは作者の方の参考になるかと思って付け加えるだけだが、私の知っている本だと、電撃文庫の「キノの旅」にこういった無情なエピソードが多いように思う。恐怖作品ではない上、ご存じかもしれないが、参考までに。
 また、特に恐怖としてアピールされている訳でもないが、プラガットの左腕。異常が平常のライトノベル的世界観だと、読み手の私もそれに対応して身構えるので、恐怖を感じるハードルは跳ね上がる。しかもしているのがアニメチックな美少女(?)となると、現状では萌え要素に変換される。
・買っても後悔しない魅力±0 可もなく不可もなく。プラガットの骨が露出した左腕は、(私から見て)萌え的で良いと思う。虫度、外見も行動もまんま人間に見える蠱という設定を、受け入れるべきか否か。

名前: わごん ¦ 23:29, Wednesday, Sep 23, 2009 ×


恐怖度0
文章力0
構成力0
アイデア0
一種独特の雰囲気や世界観はあるのですが、どうもそれに酔いきれなかったです。シュールが強すぎるので、もう少し現実的なものを匂わせて対比させると世界観が深まったように思えました。

名前: 妖面美夜 ¦ 12:39, Friday, Sep 25, 2009 ×


遺伝元の調理法がとても素敵です。遺伝元の雰囲気や世界観を巧く受け継いでいながら、蠱という新要素が綺麗にはまっていて違和感なく読みました。文章も状況や心情をイメージしやすくてよかったです。
コトコとプラガットのこれまでを想像する楽しみも大きく、とても好みのお話でした。

*遺伝元の調理法+1 *文章+1
*キャラクター+1 *恐怖−1

名前: げんき ¦ 00:29, Sunday, Sep 27, 2009 ×


階段への愛を感じました。

名前: あおいさかな ¦ 18:50, Sunday, Sep 27, 2009 ×


講評する時は、一つ一つ、頭をリセットしてから読むことにしています。
ですから、単体で成り立たない作品は、それだけで点数が辛くなってしまいます。 この作品も雰囲気はあるのですが、ただそれだけです。
ここで始まったわけでもなく、ここで終わったわけでもない、独自の世界が構築されているわけでもない。
最後にRREを出されても、何のことやら判りません。遺伝を継ぐとは、外伝を書くという意味ではないと思います。

発想・-1 構成・-1 文章・-1 恐怖・0

名前: 三面怪人 ¦ 00:22, Tuesday, Sep 29, 2009 ×


虫と人間の中間の存在を設定したのは素直に面白いと思いました。
内容的には会話文が多いためか、どうも情景を思い浮かべるのに苦労しました。
また遺伝元設定を濃厚に受け継ぎすぎて、単体としての成立にちょっと疑問があるように思えました。

アイデア    1
文章      0
構成     −1
恐怖度      0


名前: 鶴の子 ¦ 09:03, Tuesday, Sep 29, 2009 ×


 ゴメンなさい。
 正直、良くわからないった。
 ちょっとイメージが拡散しすぎていて上手く固定できない。
 もうちょっと絞り込んであると良かったかな。
 詩的な感じはおもしろかったけどね。

【アイデア】0、【描写力】0、【構成力】0、【雰囲気度】+1

名前: ユージーン ¦ 20:36, Tuesday, Sep 29, 2009 ×


とても申し訳ないのですが、予備知識のないアニメを途中から見て、途中で終わったような感じがしました。
キャラクターを動かす事を得意とされる様子は読んでいて分かるのですが、やっぱりこの世界でたった二人しかメインキャラがいないと、壮大な舞台がとても狭く小さく終わってしまうのではないかなと思いました。

人物が少ないと展開もしにくいですし、筋立ての段階から再考された方が良かったように感じました。
内容もホラーとは遠い位置づけにあると思います。
タイトルがとても魅力的だったので、期待しすぎてしまったのかもしれません。

構成力・−1、恐怖度・−1

名前: 気まぐれルート66 ¦ 21:35, Wednesday, Sep 30, 2009 ×


今回のルールとは無関係の作品を読んでみたいと思います、素敵です。
登場人物を女性に限定してしまうと動かすの難しくなりませんか?絵はキレイになりますけどね。

名前: 読書愛好家 ¦ 20:48, Thursday, Oct 01, 2009 ×


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