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(男の森の小裸――3から)
5 伊鹿和了は軟禁されたホテルの部屋で、丸一日眠り続けました。 青蓮閣に戻るとすぐに拘束され、携帯電話も取り上げられたので小澤アリアとも連絡が取れず、無事逃れたのかどうか。少女たちとはひき離され、尋ねても安否は確認できませんでした。 彼を監視していたのは高級スーツに身を固めた、中国人だか、日本人だか、在日朝鮮人だかよくわからない顔つきをした男で、年齢は三十代か四十代前半でしょう。日本語と同じくらい流暢に北京語や英語を話しました。 浅黒い顔と細い目のせいで無愛想に見えますが、そのじつ、五対一で仏頂面より愛想笑で表情を作っているときの方が多く、話が核心にふれないかぎり、雑談を拒むこともありませんでした。自分でタバコを吸うことはあっても彼に勧めることはなく(和了が吸わないのを知っているだけなのかも)、新聞も雑誌も自分が読むだけでした。 暴力を振るうのが性に入った職業ではないようです。もしかすると彼が知らないだけで領事館の上役だったのかもしれません。 男は夜どおし彼を見張っています。朝食にはオレンジジュースとパンケーキ(最初の日はジャム、二日目はバターたっぷりのオムレツ、三日目はアーティーチョ−クのサラダ)を注文し、昼食前には姿を消して、午後十時以前に部屋に戻ることはありません。おそらくその時間帯は外で代わりの者が見張っているのでしょう。 さしあたって知りたいのは、BBC裸足の捏造ドキュメンタリーを撮るために、青蓮閣を脱走したと看做された少女たちがどうなるか、でした。 「テレビの仕事ってどうなんでしょうね」 伊鹿は男に話しかけます。本当に聞きたいのは小裸の消息でした。 「どうせ放送の三分の二はレポーターが、俺さま顔を大写しにして、あることないことしゃべっているだけです。映像を歪めるのは簡単だ。捏造するなら勝手にやればいいので、メッセージピースを拾うためのインタビューなんてこれからは禁止すべきでしょう。おかげで死者まで出たんですから」 男はつい気を許したのか、 「どうかな。ルールを破ったんだから処罰するのは当然だが、貴重な財産だ。まだすぐには殺さないだろう」 言ってしまってから後悔しましたが、軽はずみなのはお互いさまです。相手は美人レポーターの口車にのせられて青蓮閣の少女をつれだすような若輩でした。話していれば何か良からぬことを白状するかもしれないと考え、続けました。 「死んだのは、あれは事故みたいなものだ。ただ次の記念日あたりはどうだろうね。大きな催しには処刑がつきものだし。わからんよ」 「まさか。青蓮閣は戦犯で運営しているんでしょう? そんなにどんどん殺していたらもつはずがない」 「もたせて見せるよ。戦犯はビジネスになる。援助も人権擁護も十分金になるけれど、人権無視ほど儲かるものは他にないからね」 男は開き直って、現地コーディネーターのように軽快に話し続けます。 「日本が老人の国になった今、その役立たずの老人たちを養うために、こんどは子供たちが犠牲になる番だ。高度経済成長の時代には労働者が犠牲になったようにね。これまでさんざん保護され甘やかされてきたんだから、しょうがない。ただ保護は続くよ。子供は必要だ。いや国家にとって、いっそう貴重な財産になる。育児手当も休業補償も増額され、これまで以上に手厚くなる。出生率ももっと上がって欲しいね。大家族は優遇されるだろう」 「ギブアンドテイクですか」 「だって福祉ってそういうものだろう? 母親たちが子供を産み育てやすい環境をつくるために、政府は万全の努力を惜しまない」 「青蓮閣に日本政府が関わっているなら、戦犯はさらに増えるってことですね」 伊鹿はさらに鎌をかけます。 「そういうことだな」 男はわずかに眉をひそめました。
翌日は南京大虐殺記念日のお祭りでした。 青蓮閣では一日中、さまざまな出し物が舞台に載せられます。通路という通路には縁日のように屋台が並び、宴席は外国人で、玉串に飾られた特設の観客席は今日ばかりは入場無料の中国人客で満員でしょう。 男は朝食にオレンジジュースとパンケーキと、今日はゆで卵を注文しました。食べ終わるとタバコを一服。ボーイが皿を下げにくるまで、一時間の余裕があります。 彼は隠し持っていたオートマチックを突きつけて男を脅し、ハンカチを口に詰め、ネクタイで猿轡をかまし、後ろ手に縛り上げました。ついでに足首を縛った手荷物ベルトと結び、えびぞりに固めて床に転がしました。男は抵抗しません。そんなことをしても無駄だぞと言いたげに、恨めしそうな眼差しを向けるだけです。 伊鹿は屋上から非常階段を使ってホテルを脱け出しました。裏路地に降りると、すぐに青蓮閣に向かいます。 街はお祭り気分一色で、暴動の痕跡すら感じとれません。 壁や窓辺をいろどり、各種の幟や中国国旗にまじって各国の国旗がなびいているのは、祭りが万国博覧会の予行を兼ねているからでした。 福州路に入ると人込みはさらに増しました。 朝早くから同じ路地につめかけた群集に、大規模なデモを支えていた凶暴な目の光がないというのは、何か不思議な感じです。 南京大虐殺の記念日を日本人を貶めて祝おうなんて、単純な脳髄の持ち主なら考えつかないようなアイディアを、本当に実現してしまうなんて凄いことです。しかも、それを国家に対する不満の解消と愛国心の発揚のイベントにして成功させるなんて。 いったん人の弱みをにぎったら傷口が塞がらないよう事あるごとに塩をすりこむのが、中国式のやり方でした。 ヒステリックなだけで何も考えていない朝鮮方式とはそこがちがうところです。
伊鹿は人込みにまぎれ、正面入り口から青蓮閣に乗り込みました。 舞台では軽い余興が始まっています。もちろん青蓮閣児童だけでは芸がなく、間がもたないので雑技団や養成学校から多くの人数を借りていました。 今は日本人の少年が猿回しをしていました。猿は少年の髪の毛をひっぱたり、噛み付いたり、ちっとも命令を聞かないばかりか、反対に少年を威嚇して、観客の笑いをとります。 猿は雑技団で訓練されたプロフェッショナルで、観客席のさくらがリンゴを投げると、すばやい身のこなしで少年の頭に飛び乗り、見事にキャッチしました。 小裸はどこだろう。楽屋だろうか。 居住区へ行って警官どもに見つかっても嫌だし。 伊鹿がそう考えていると、宴席に給仕をする見覚えのある女を発見しました。B優でした。お祭りなので日本人の制服ではなくナイキのTシャツを着ています。もちろん上だけで、下半身は裸です。 他の女たちもそれぞれにアディダスやプーマやスポルディングのTシャツを着て給仕しています。飾られた万国旗に合わせて、ワールドカップの雰囲気を演出していたのでしょう。 草履を履いて歩くB優の姿がいつもより内股なので、よく見るとバイブの代わりに生きた蛇が肛門の奥深く突っ込んであります。蛇は尻尾がわずかに垂れているだけです。 B優は何度もふりかえり、後ろを警戒しいしい、こちらに向かって歩いてきます。 蛇をひっぱると蛇以上にB優が身もだえします。客が面白がっていたずらするので、給仕の間も彼女はおちおちしていられないのでした。 B優は伊鹿を見つけると、あわててUターンします。 彼は手を伸ばし、B優の肩をつかんでひきよせました。 「ご自慢のお尻もそうやって締めると、まだまだ見れる」 などと、のんびりした声で言いながら、B優の尻尾をつかみます。女がかすれた悲鳴をあげました。 物陰につれていって問いただすと、小裸は下手の楽屋にいる、と白状しました。 「でも、男の人も大勢いますよ」 B優は言います。 「気をつけて」 「平気さ」と伊鹿。「じゃんけんで自分だけチョキを禁じ手にされても、一対一ならまだ勝つチャンスはある。それには相手が勝ちにきてチョキを出す瞬間を逃さないことだ」 それが気休めにすぎないのは、B優も知っています。 「頑張って」 「ありがとう」 伊鹿は早足でその場から立ち去りました。
下手の楽屋は日本人用で、雑技団の連中はいません。 小裸は楽屋の共同便所で、日本兵を演じるやくざの一人に演技指導と称して喉の奥に真珠入りのペニスを押し込まれ、しゃがんで泣いているところでした。 伊鹿を見つけると、やくざに体当たりした勢いで転びそうななりながら走ってきて、彼に抱きつきました。 やくざは銃を見せるまでもなく、逆らう気はないようです。 「いいか」 伊鹿は小裸の顔を正面から見据えて言いました。 「ここから逃げるんだ」 少女は、まるで映画のヒロインになったみたいに伊鹿の唇に吸いつきました。舌を入れてかきまわすのが、小裸にとっては初恋の味なのでしょう。 楽屋には樹理の姿が見えました。 それで、彼はとっさに思いついたのです。 このまま逃げてもすぐにつかまるだろう。樹理のいう刺青師に賭けてみよう。小裸を別人に変えることができれば、逃げられるかもしれません。 伊鹿が刺青師の居場所をたずねると、 「刺青師のことは堕仁が知っています。今も毎日のように世話になっているはずです」 樹理は言いました。 「わたしも一緒につれて行ってください」 戦時中の日本の少女のようにもんぺをはいて、防空頭巾をまだかぶらず、膝にのせてのせていたのを左手でつかみ、腰掛けていた籐椅子からすっくと立った樹理は、主演女優の貫禄まで感じさせます。裸で、惨めったらしく薄汚れ、よろこびで顔をくしゃくしゃにした小裸と比べるとなおさらです。 どうやら彼女は本気のようでした。 「どこへ行くんだ?」 足もとにはいつくばっていた玉早が、いまにも樹理の膝にしがみつきそうにすりよって、いいました。 「あなたはここにいた方がいいわ。また、この人を案内してくるだけよ」 樹理はかがんで、そっと顔をよせ、玉早の頬にキスをして、耳もとでお別れの言葉をささやきます。 伊鹿は二人をつれて、特別室へ向かう抜け道をかけあがりました。 数人いた元警官は黙って見ているだけでした。 もともと警察官の首から上はただの飾りなので、虱つぶしに溝をあさるか、ゴミ溜めに顔を突っ込むか、自分たちででっち上げた犯人を逮捕する以外、能はないのです。あらかじめ指示がないと不測の事態には何ひとつ対応できないのでした。 一日中他人の尻を嗅いでいた頃の尊大な犬の面影はありません。まるでかたわの野良犬です。
彼らは樹理の案内で特別室のドアをつぎつぎに開け、堕仁を探しました。小裸は黙って彼の後をついてきます。 堕仁は大理石張りのトイレで便器にすわって用を足しているところでした。 「なんだよ」 「彫り師はどこだ」 伊鹿が訊いても、 「堀さん?」 と何のことだかわからないようすで、首をかしげ、 「知らないなあ。だれなんだ」 「おまえの刺青を彫った刺青師だよ」 堕仁はきょとんとした顔で、止まってしまいました。 「左手の義手を隠した刺青だ」 伊鹿がひったくるように堕仁の左腕をつかむと、それは本物の少年の腕でした。 ふりかえって樹理の顔を見るまでもなく、彼は理解しました。 刺青師なんて最初から存在しなかったのです。すべては少女の願望が生みだした妄想、いえ彼女を決して救ってくれない大人に対する無意識の罠だったのかもしれません。 あのとき小裸をつれてすぐに逃げていたら、と伊鹿は考えました。もしかすると逃げられたのではないだろうか。 いやどのみち無理だったろう。 彼は思い返し、誰かを恨むのはよしました。 「ばかだな」 少年が言います。 引鉄を引くと、堕仁の頭に大穴が開き、轟音がして少年の体は大理石の床に倒れ、飛び散った脳漿の上に血が流れました。 じゃんけんに生死を賭けるのはばかだ。そんなことは初めからわかっていました。 ただし自分に銃を向けた相手を罵るのも、同様に愚かしい行為です。 彼は手をひいていた小裸を体ごと両腕に抱えました。こうしてみるとまだ本当に幼い。小裸は小さな顎をあおむけて、不安そうに彼を見上げます。その頭のすぐ後ろではシグの銃口が硝煙の熱い残滓を漂わせています。 彼は途方にくれました。何を言っていいのかわからなかったのです。 「ごめん」 それでも真っ直ぐに目をあわせ、小裸の顔だけを見つめて、伊鹿は言いました。 「さよならだ」 小裸がのぞんだお別れのくちづけは間に合いませんでした。 背後のドアから軍服の男数人がトイレになだれこみ、少女を押しのけ、アサルトライフルの銃口を突きつけて伊鹿を囲んだのです。 彼は両手を挙げ、オートマチックを捨てました。 樹理が玉早にいって通報させたのでした。 中国語が聞えたので、両手を頭の後ろで組んで正座。口笛。お決まりの手順。もういちど小裸をふりかえろうとすると、銃の台尻で殴られ、そのまま倒され、トイレの床に顔をつけ腹ばいになるよう押さえ込まれます。 意識が薄れ、堕仁の血で視界が真っ赤に染まりました。 見納めが血と軍靴か。 伊鹿は最後に考えました。 せめて小裸のおまんこだったら良かったのに。
(男の森の小裸――5へ)
【事務局注】 この作品は、送信された作品ファイルサイズが非常に大きく、1エントリ分で作品全てを表示することができないため、事務局側の判断で複数エントリに分割していますが、全て合わせて単独の一作品として応募を受け付けた作品です。 このため、先頭エントリ部分のみトラックバック/コメントを受け付けるとともに、先頭以外のエントリではトラックバック/コメントを受け付けないようになっています。 これはエントリーblogのCGIの仕様上の制限に基づく特別措置であり、「男の森の小裸-XX」を全て合わせて1ファイルの単独作品であるとして、先頭エントリ部分にのみトラックバック/コメント講評を頂戴いただけますようお願いします。
なお、正式タイトルは「男の森の小裸」で、XX部分の数字はエントリ分割に伴う、事務局による補足的なものです。
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22:58, Tuesday, Sep 15, 2009 ¦ 固定リンク
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