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(男の森の小裸――4から)
6 小澤アリアは一時はスパイ容疑をかけられたものの、無罪放免されました。「一人では何もできなかった」というのが理由です。 アリアは上司からきつくお叱りを受けたあと、現場に復帰して、少々げんなりしながら南京大虐殺記念日の青蓮閣をレポートしていました。 お昼休みをはさんで、午後からはいよいよ「日本人の公開私刑」です。不器用な日本人の少年少女が雑技のまねごとをしても大怪我するだけでした。だからこそ、彼らはわざとやらせて、日本人が失敗するのを見て楽しむことにしたのです。 失敗した子供たちは演目のよっては、運がわるければ首の骨を折りました。 最初は皿回しの少年で、落とした皿で額を割ります。 書割は戦前の見世物小屋でしょうか。縄で縛った木組みと汚い布を背景に、うらぶれた雰囲気がよくでた昔の日本映画のセットのようです。 ふざけた寸劇をまじえながら、彼ら中国人は中国人の助けを得てもなお失敗ばかりする少年少女のつたない演技を延々とつらねて、過去の正しい歴史をたどり、このままではこのさきも未来永劫、同じ失敗と敗北が続くだろう日本人の何一つ満足にできない姿をばたっぷり鑑賞しようという腹でした。
次の出し物は包丁でのジャグリングでした。開始して二十秒ほどは上手く回し続けましたが、包丁を受けそこねて指を落とします。舞台袖から走りでた元警官が、あわてて指と包丁を拾い集め、少年をひきずって退場しました。 自分のものではない金を数えすぎて感覚が麻痺した財務官僚のものまねだとしたら、お粗末でした。彼らは両手を失くしても口を使っておまんこを舐めて女にとりいるような族です。ご機嫌をとった女を利用してオリンピックのルールを変え、パラリンピックにして乗っ取るでしょう。 瓦解した体制を象徴するように、変則的に積み上げた椅子の上で危なっかしくバランスをとる少年の出番です。日本人の制服を着ているのは同じですが彼の場合上着ははっぴで、背中に「三代目茅ヶ崎[イー・チョーシ−]」と唐様の文字で染めてあります。 太郎[ウソー]は蚤使いで次郎[ヨサコイ]は蚤です。 太郎は独善的バランサーなので、自分ではいっさい平衡をとらず、積み上げた椅子の支え手にとらせます。 少年は思いきり口を歪め、唇の右端でパイプをくわえ、火皿に小さな日本の国旗を突き刺し、その上になみなみと赤ワインが注がれたグラスを支えています。物を乗せていくのはアシスタントの仕事で、むろん本職の雑技団でした。 太郎はよだれをだらだらこぼしながら、なんとか口の左側でポッキーをくわえ、いっそう顔を歪めて、パチリ。ウインクすると、蚤の次郎がポッキーの先端に跳び乗ります。 蚤は飛び跳ね、三回転して着地します。 次はひねりを加えて二回半。 お次は四回転です。 さらに少年が目をパチクリさせて合図をすると、ポッキーの先端から、蚤ががぴょん、とワイングラスの縁に跳ねますが、着地を決めそこなって、危うくワインの海に落ちかけます。どうにかグラスの縁にしがみつき、つるつるすべるのが厄介でしたが、なんとか足場を固めると体勢を立て直して、またぴょんと、蚤は空中五回転。 落下の速度を利用して、三角蹴りの要領で少年の額を蹴って、またジャンプ。月面宙返りを決めて、ポッキーの上に着地します。見事な大技です。 しかしながら蚤には必死の大跳躍もいかんせん、小さすぎて観客からはほとんど見えません。 太郎は椅子の上でふらふらしながらも、演技が成功したので得意気でした。満面の笑みをうかべて観客に向かって挨拶します。どうだ、とばかりに首をふります。 何をしているかわからないのに太郎の態度が大きいので、客からは口笛や野次といっしょに、物が投げ込まれます。 やんやの喝采です。 椅子を支えていたのは雑技団の本職で、少年を椅子の上に乗せたまま、降り注ぐ酒瓶の雨を器用によけて、見事砂上の楼閣を維持したのですから。 観客の拍手を一身に集めるのは無理ないことです。 太郎は不満そうですが仕方ありません。 椅子の山のてっぺんにしがみついているだけでは蚤と同じです。 ところが、二階席の幼児が放った紙飛行機が、青蓮閣の高い天井近くをゆうゆうと旋回した末に、今ごろになって舞台に届き、柔らかな紙で折られた先っちょを、太郎がくわえたパイプの上の煙のように軽薄なワイングラスの表面にコン、という音も立てずにぶつけます。 ワインが波立ち、グラスの縁にしがみついていた蚤が落ちます。 あっ、とくわえていたポッキーを落とすと、よだれにパイプをすべらせて、国旗は倒れ、グラスが落ち、ワインにぬれた椅子の脚が肘掛から浮き、あとはもう連鎖反応で、本職の雑技団でも手の施しようがありません。椅子の楼閣は、世界貿易センタービルのように一気に崩壊します。 哀れな少年は椅子の下敷きになったり、動きません。 他愛のないものです。 蚤の行方を気にする者はもとより誰もいませんでした。
中には見るにたえないひどい見世物もありました。 結構いい歳をした少年二人、経団[キヤノン]と連[トヨタ]によるお互いの尻の突き合いです。ベロベロといい加減いつまでも尻を舐め合い、ついでに亀頭と睾丸の裏までしゃぶりあってよだれまみれのうっとりした顔を見せたかと思えば、便所虫役の経団がひりだした糞便を連が呑みこみ、おかまの子豚役の連がふきあげた精液を経団が残さず舐めとります。 便所虫が子豚の肛門にちくわを刺すと、連は一兆の精子を無駄に失った悲しみと不満をこめて鳴らします。 ちくわが鳴るとクラクションにも似た音がして、連はぶーぶーピーピーと下品なメロディを奏でるのでした。 いかんせん少年としては塔が立っているので恍惚と薄ら笑いを浮かべると、まるで中年の親父です。 経団、とが相手の名前をしつこくさん付けで呼ぶのも鬱陶しく、肛門にバイブを突っ込まれると、奥だ、奥だ、もっと奥だ、と果てしなく欲求を募らせるのが厚かましく、とても嫌らしい感じです。 ちょっと前まで、青蓮閣の看板だったいうのが信じられません。 少年の色香の褪せるのは早いものです。
模擬裁判所のセットの中心に犯人役が立っています。 犯人はもとより、裁判官、検事、弁護士、そして裁判員も全員裸です。裁判とはそういうもので、すべてをさらけ出さないといけません。ただし裁判員は素人なので、両手首にホワイトバンドをしています。 ホワイトバンドは低能のしるしです。ホワイトバンドを付けることで人は、「ほら、私はこんなにばかです」と宣言し、「私はあなたより明白に劣っています」と謙遜の意味を表すのです。 裁判員は被告を見ながら必死でオナニーを始めます。 被告が犯人なら逝けるはずです。 首尾よくぶっかけが完了すれば被告は有罪と決まります。 ぶっかけるのは、もちろん生出しの精液ですが、女性は小便でもかまわないことになっていました。そうそう誰にでも潮噴きができるわけではないからです。 裁判員は必死です。 仕事を休んで、安い日当でオナニーをしているのですから、さっさと達しなければ困ります。 裁判員はなかなか逝けないのはおまえのせいだ、と被告を責め、鼻くそや、フケや、雑巾や、家庭から持ち込んだありとあらゆる汚いものを投げつけ、口汚くののしって、つばを吐きかけます。 評決に失敗した裁判員は、被告を逆恨みして…… あとはご想像にお任せしましょう。裁判員になるような人間の考えることは決まっています。
書割が変わります。 舞台には六本の木の杭が、その向こう側に人糞を盛って造ったビルの模型が建っています。うんこ盛りビルの前は沼になっています。 杭の先端は鋭く尖らされていて、その上を鉄の下駄を履いた子供たちが軽快に渡ってゆきます。ランドセルを背負っているので、通学途中の小学生でしょう。木の杭が立っているのは沼のほとりで、落ちたらたいへん。沼にはヒルがウヨウヨしています。 うまく渡り切るのは養成学校の生徒たち。渡りそこねて、運悪く杭に目玉をえぐられるのが日本人の子供です。 セットの沼には本物のヒルが飼われています。 ウヨウヨネトネトするヒルは青蓮閣中の嫌われものです。 しょっちゅうセットを逃げ出してはどこにでも現われて、非国民の子供の体に取り付くと、汚い汁をだして肌を汚し続けながら、いつまでも調子に乗って、執拗くちゅうちゅう血を吸うのをやめないからです。 ヒルは自分が嫌われ者であることを知らないのです。
花花は自分の住いである犬小屋をでて、沼へ水汲みにいきます。 六本の木の杭がたった水場につけば、両端に水桶のついたてんびん棒をかつぐ、重量挙げのまねごとです。ただし水は偽装された牛や豚など家畜の臓物なので、水桶は異様に重く、非力な花花ではなかなか持ち上げられないのでした。 重量挙げの選手が力を入れすぎて、失禁するという話はよく知られています。 ここにも一人。重量挙げの少女は失禁しやすいように前もって水をがぶ飲みさせられていたのですから、もちろん漏らします。 花花が股を割り、足を踏ん張って力を入れた瞬間に、股間から噴水のようにほとばしる小便に滑ってころんでてんびん棒に押しつぶされ、ひっくり返った水桶からあふれだした大量の腐った臓物を全身にかぶって泣きじゃくる花花のようすを見て、観客は心置きなく失笑をもらすのでした。 小澤アリアは歩道橋からぶら下がった吉兆と春平姉妹の姿を思い出して気分が悪くなり、少しはもどしました。 「失礼」 取材前にチョコレート・パフェなんか食べるんじゃなかった。失敗したわ。 青蓮閣にもゲロバケツは常備されていました。 綺麗に吐いたつもりでした。それでも染みになった服を見て、やっぱり白はまずかったかしら。小澤アリアは考えるのでした。私だっていつまでも白いイメージのままではいられないのじゃないかしら、と。 花花はまだ泣きじゃくっています。
新たな少女が一人。 少女は裸で、軟体芸を披露します。 雑技のまねごとの中ではどれが危ないって、素人の無理な軟体芸がいちばん危険でした。 みんなはらはらしながら見ています。 少女が結構可愛いからです。 見たことないわね。新人かしら。それにしては上手い。 少女は最後にお尻を客に向けて舞台にしゃがみ、顔だけふりむいて、 「卵を産みます」 と言いました。 少女はM字開脚をしたまま逆立ちして(W字ですね)、尻の穴から卵を産み落とします。 少し汚い音を立てながら、卵はぽんと舞台に落ちます。 もうひとつ。 なかなかでません。 さんざん軟体芸をしているうちに奥へ入ってしまったのかもしれません。 少女はあきらめて、逆立ちをしたまま大開脚。 そして言います。 「鳩がでますよ」 鳩はでません。 一羽は卵の中で窒息死していました。 もう一つの卵は腸の中でつぶれてしまい、鳩は少女の肛門の中で糞まみれになって死んでいます。 少女はしかたなく、 「中国共産党万歳」 と日本語で叫びます。
舞台の袖から、密林のセットと共に、乳首にピンで蝶をとめた裸の少女が走ってきました。少女は元気よく密林をとびまわり、捕虫網をふりまわして蝶を追っています。 お友達のアルカイダが落とし穴の場所を教えてくれるので彼女は罠にかからずにすみますが、少女の後を追ってきた少年は罠にかかって逆さ吊りになります。 南洋の人喰い土人(警官とやくざの扮装でした)が集まってきて、罠にかかった少年のロープをひっぱります。ロープは少年の首に、手足にからみつき、股間をまわり、膝の裏でよじれ、大の男が三人がかりでひっぱりまわしたものですから、少年の体はあやつり人形のように翻弄され、やがて宙に浮いた体は空中ブランコの様相を呈します。 半径三メートルちょっとの円を描いて、少年は面白いように回ります。 脚は回転につれてぶらん、ぶらん。 足の指が痙攣するのが見えたので、男たちはあわててロープをたぐり寄せます。 少年は泡をふいてぐったりしています。 だから! 人が吊られるのは嫌なんだってば。 小澤アリアは席をはずし、タバコを吸いに喫煙所に向かいました。 死体なんか見なれているのに。 アリアは自分の拒否反応がいぶかしく、思わず煙にむせ、一人でくすくす笑ってしまいました。 プログラムと時計を交互に眺めながら、二流の見世物が終わるのをしばらく待ちます。 戻ってみると、舞台では、今回特別にゲスト出演する『花の子幼稚園』の公演が始まっていました。 まあこれも、とうてい一流とは言えませんが。
選挙でみじめな敗北を遂げたものの、長いあいだ権力の座にあった旧政権与党は野党に落ちることを受け入れられず、複数のカルト宗教団体と組んでクーデターを計画したのですが失敗し、粛清されました。 協力を約束した自衛隊の幕僚長があまりにも無能だったのです。 粛清されても政治家は戦犯にはされません。 孝太郎も進次郎も優子も無事でした。 代わりに民間のブレーンや後援会関係者から適当に人をみつくろって戦犯に仕立て、日本政府は花の子幼稚園[フラワー・チルドレンズ・キンダーガーテン]という巡礼団を組織して世界各地を回らせたのです。 幼稚園といっても団員の年齢は子供から大人までさまざまです。 なぜかといえば、総じて知能程度が幼稚園児なのです。 旧与党支持者は利権を目当てに集まった欲ボケばかりですので誰を選んでも例外なくそんなものでした。 世界に陳謝して回るといっても花の子幼稚園のメンバーがすることは、地面に寝そべって、死んだふりをするだけです。 原爆ドームの前でダイ・イン。 平和記念公園でダイ・イン。 沖縄、東京、大阪ででダイ・インするように、アウシュヴィッツでもダイ・イン。 ボルゴグラードでも、ベルリンでも、カチンの森でも、ダイ・イン。 ノルマンディでも、ロンドンでも、ダイ・イン。 ベルファストでも、ベイルートでも、エルサレムに到着して早々に、嘆きの壁の前でもダイ・イン。 バグダッドで、恐る恐る三秒だけダイ・イン。 アフガンでダイ・イン。バーミヤンでは危うくタリバンに本当に殺されるところでした。ヒグマならいざ知らず、死んだふりをしても助からないので一目散に逃げたそうです。 インドでも、パキスタンでも、チベットでもダイ・イン。 南京では陥落の日にダイ・イン。 じつのところ、南京大虐殺記念日は歴史上のタイムテーブルとは無関係なのです。 インドシナで、南洋諸島で、ニューギニアでもダイ・イン。 オーストラリアには行きません。人間には無視されて、カンガルーか羊に踏まれるのが落ちだからです。 真珠湾でもダイ・イン。 世界貿易センタービルの跡地でもダイ・イン。 どこへ行ってもダイ・イン。 地面に寝そべって、死んだふりをするだけです。 あまりにも無能で、それしか芸がないのでした。 いや一つだけありました。
それが今回披露するとっておき、花の子幼稚園プロデュース「八紘一宇南進ショー」です。 ハワイやブラジルの日系人には好評を博したそうですが、どう見てもただの盆踊りです。 浴衣を着て花笠をかぶった男女の間にしずしずと山車が引き出されます。山車には御神体が乗っていました。 花の子幼稚園の戦犯はいまだに偶像を崇拝していました。 彼らが崇めるのは、つつましく左手でペニスを隠したポーズの考える人の奇妙な彫像、顔を真っ黒く濃い墨で塗って、はだしの足には靴をはかせた蝋人形でした。 失敗した政治改革の象徴で、ハートのないライオン像と同類です。 途中、竹島に上陸して無断で伐採した竹を使って作った竹馬に乗って、被り物の馬から首を出し、平蔵と太蔵と有象無象ダンサーズが偶像を囲んで踊ります。
クーデターに失敗したカルト宗教団体は信者からしぼりあげた莫大な資産を政府に提供して罪を免れ、政府はその資金の一部を使って、戦犯選抜団体を運営していました。 花の子幼稚園はその別組織です。 彼らは戦犯でありながら、国民の中から無作為に戦犯を抽出して、戦犯の安定供給を図る仕事もこなしていたのでした。 今回、彼らは特別ゲストとして青蓮閣の舞台に友情出演するにあたって東南アジアやアラブ、アフリカから、戦犯候補の子供たちを大量に運んできました。 東南アジアの子供はともかく、黒い肌では日本人には見えないのではないでしょうか。疑問が湧きます。なに、もともと偽装と人買いはお手の物です。彼らには旧政権時代からの人脈と金脈が残っています。 黒い肌が使えないなら臓器だけを切り売りすればいいのです。移植用の子供の臓器はどこへ行っても引っ張りだこでした。 陳謝の行脚といいながら、徴用した豪華客船で世界をめぐり、戦犯とは名ばかりの贅沢三昧。裏では密売された子供を運ぶのです。子供たちは船倉に押し込め、自分たちは個室とサロンでくつろぎます。船は十分広いのでその必要もないのですが。 民営化された郵政事業直轄の配達作業の極意でしょう。 何のことはない、片手間の人身売買で商売相手を開拓しながら、快適きわまる世界一周旅行です。 いったい何をやっているんだか。 クーデター失敗の張本人、元幕僚長は艦橋に立ち、船長然として双眼鏡で海原を睥睨していました。 まるで世界が自分のもでもあるかのようです。 もっとも本物の船長は別にいて、しっかり実務をこなしていました。 元幕僚長に任せたらあまりに無能すぎて、船が座礁しかねませんものね。
赤や黄や白やピンクの花飾りに覆われた山車の垂れ幕が開きます。 そこから竹の腕が伸び、大きな黒い箱をそっと舞台に置きます。 どうも何か説明しているらしい。スピーカーの具合が悪いのか、 「日本はパンドラの箱だ。(悪いものは)何でもあるが、希望(だけ)は(どこにも)ない」 こんな調子で、とぎれとぎれで聞き取りにくいナレーションが聞えます。 箱は、結構しっかりしたつくりでした。見た目は舌切り雀のお婆さんが背負ってきた葛篭のようです。 花の子幼稚園から青蓮閣へ心ばかりのプレゼントでした。 公演はこれでおしまい。 終わるやいなやのことでした。 彼らはそそくさと青蓮閣から退散します。こんな所には一瞬でもいたくありません。 一行は港から豪華客船に乗り込み出発します。
箱の中から飛び出したのは青蓮閣恒例、町村子[リーマン]と薄馬鹿[シティーバンク]の夫婦漫才でした。 漫才といってもそれはとても稚拙なパントマイムでした。 本物の雑技団で目の肥えた観客は、日本人少年少女の音痴な歌、珍妙なダンスや大げさな演技をばかにして、口笛をふき、罵言を浴びせ、食べかすや酒瓶を投げつけて騒ぎたてるのが死ぬほど好きだったのです。 町村子はパンダのように目と口のまわりを墨で黒く塗り、裸で、腰をふっていました。 ラジオ体操にしか見えません。 それでも自分ではセクシーなベリーダンスのつもりのようです。 町村子の白くてぺったんこなお腹にはおおざっぱに中国と日本と地図が描かれています。 矢印つきで、尖閣諸島と朱書きされているのがちょうど、鼠径部のあたりでした。 薄馬鹿はおもちゃの機関銃を構えています。 引鉄を引くと、銃口で赤いランプが点滅しました。 薄馬鹿は威張っています。 無理やりに肩幅を広げ、胸を張ってふんぞりかえり、やけに下腹を突き出すものですから、役に立たない、皮を被ったおちんちんがまるで勃起しているように見えるのです。 中東でも、アジアでも、日本人はどこでも同じでした。傲慢無礼な態度はいつも卑屈な奴隷根性と裏腹なものです。 薄馬鹿は町村子の体をおもちゃの銃身で突っつきまわし、さんざんじゃけんに扱い、一転して、いとおしそうに舐めまわしたあげく、いきなり少女の性器にぎゅうぎゅう詰めに爆竹を突っ込み、火をつけました。 爆竹は大量です。 性器からこぼれて二メートルも繋がった爆竹の列が、順番に破裂してゆきます。 激しく燃えあがる火薬の炎。 観客が、あっ、と思ったのもつかの間。 連続する爆発音と立ち込める硝煙がくぐもった音と血しぶきに変わり、町村子は陰唇をふきとばされて声もなく、股間をおさえ、血を流し、いつまでもいつまでも舞台の上をのたうちまわるのでした。 しばしの沈黙。 それから、宴席は拍手喝采。 観客は心を一つにして、二階席も平土間もなしに、底抜けの大爆笑につつまれるのでした。 こうして第一部は好評のうちに終了します。
さて、第二部はお待ちかね。『南京大虐殺物語』の始まりです。 ところが、ヒロインとして登場したのは樹理ではなく、小裸でした。 観客はざわめきます。 小裸はいつもにも増して、茫然としているようです。疲れているのか、それとも何か考えごとにふけっているのか。心ここにあらずというか、魂が抜けてしまったのではないかしら? と小澤アリアは思ったほどです。 小裸は全く演技ができません。 衣装も日本人の制服を着たきりです。 恋人役の少年(やはり玉早ではありませんが、演技は数段上手でした)に乳首をペロペロ舐められても、ナイフ投げの的にされても、踏まれても、叩かれても、反応しません。 観客は大いに不満でした。 あらかたストーリーが進んでしまっても同じです。 小裸は自分のまわりで起こることに何の興味を示さず、ひたすら、されるがままでした。 観客がいっそう騒がしくなります。 そのうち客席にどこからともなく、「いつもは死んだ演技をするだけのヒロインが、今日は本当に殺される」という噂が聞こえだし、緊迫感は一気に高まりました。
舞台装置は大陸風の居酒屋の内部とその外。 日本人が中国人を演じる劇のしるしとして、子豚の丸焼きが二匹、串刺しのまま交叉して、看板の下にかけられています。子豚の丸焼きは原爆の被害を象徴するものだそうです。 日本兵が現われました。 警官とやくざは服を着ていると区別がつきませんが、裸になればすぐわかります。刺青をしているのがやくざで、していないのが警官です。 輪姦される場面でも小裸はほとんど抵抗もしなければ、興味も示しません。 ほとんど寝た子をあやしているようにしか見えない始末。 やくざと警官が一致協力。思いきって凶暴な同時多発的腰の突き上げもむなしい爆発に終わります。悲愴感はまるでありません。 それでも観客は小裸が本当に殺されるのを信じて固唾を呑んで見守っています。 劇中のヒロインを演じては、樹理の人気に敵うべくもありませんでした。 が、生贄としてなら別です。 小裸の儚げな物腰、可憐な体つきは、観客の涙腺を刺激して、涙は今や遅しと出番を待ちかまえていました。 長々と続いた迫力のない輪姦場面が終わって、少女が裸で立ち上がります。 日本兵役の警官が、いつもは足蹴にするだけですが、今日は仕方がないので、やっこらしょ、と起してやったのです。 戸口に恋人の少年が現われて、たたずみます。 少女を見て、顔を伏せ、歯を食いしばり、また少女のことを見つめます。入魂の演技でした。 少女が歌を歌います。 といっても相変わらず、突っ立っているだけです。
柱のきずはおとといの銃殺刑の弾のあと 赤んぼ蹴りけり兵隊さん 犯してくれた五十回 きのう百回きょうはまだ(終わらない) あたしはじゅうごのゴミバケツ
歌は樹理の吹き替え(括弧内はコーラス)です。 小裸は口パクもしません。 観客は今か、今か、と待っています。 いよいよ最後の愁嘆場です。 演技はパントマイムになります(観客の想像力に訴えるためでしょう)。 遠くから二人の様子を見て、観客が話のないようを察することで、観客と劇中の人物がより強い共犯関係で結ばれるようにするためでした。 少年は小裸にくちづけし、両手でやさしく髪を梳りました。何も見ていないような瞳と、さもお互いに心を通わせているかのように、見つめ合います。 両腕を広げ。いっしょに逃げよう。 もっと。広い世界へ。 自由な世界へ。 ということなのでしょうか。 少年は熱演します。口を動かし、足を踏み、少女を抱きしめ、もういちど顔をのぞきこんでキスします。
そこに日本兵が現われて、少年は力ずくで小裸から引き離され、抵抗しながら連れて行かれます。 舞台裏で銃声が鳴ります。 一発。本物の生々しい音です。 観客は息を呑みます。 日本兵が舞台裏から何かひきずってきて、放り投げます。 血は固まっていて、もう流れていません。飛んだのは脳みそのかけらです。日本兵役は元警官でしたから死体の扱いが粗雑なのになれているのでした。 脳みそのかけらは少女の頬にぺたりとはりつきます。 小裸の目の前に投げ出されたのは、堕仁の死体でした。 「本物だ」 小澤アリアはあらためて愕然としました。 あの子、本当に殺されるんだわ。 堕仁の死体を見て、何を思い出したのか、それまで無表情だった小裸の顔が表情を取り戻しました。 探し物をするように頭をめぐらし、まわりを眺め渡します。 日本兵が十四年式拳銃を取りだすと、小裸が小さな悲鳴をあげます。 それは本当に小さな、ささやくようにかすかな声が、少女の唇からもれただけだったので、役者も観客も誰一人気づきませんでした。 でも、小裸は何かを見ていました。 やくざの一人がそれに気づいて目を向けると、居酒屋のセットの入り口にぼうっと霞んだ人影が一つ、立っていました。 なんだろうと思って目を凝らしたときには、同じような影は二つ、三つ増えてテーブルの脇に、厨房の前にも見えました。 警官もようやく異変を感じます。 見回した自分の顔のすぐ横に、覚えのない土気色の顔がこちらを向いて、じっとたたずんでいたのです。 人影はたちまち増えて、居酒屋をはみ出し、舞台に入りきらないくらい、いっぱいなります。 影が増えるにつれて背景は遠のき、居酒屋は消え、いつのまにか灰色の靄がたれこめた大陸の沃野のような広大な空間を、無数の死者の姿が埋めつくしていました。 そうです。 その瞬間、観客も、役者も、そうでない者も、青蓮閣にいる人間はすべて、彼らが戦死者たちだと理解したのです。 戦争の犠牲者は誰もがみな同じ顔をしています。 老若男女あらゆる人種の死者たちはいずれも同じ沈痛な表情うかべ、幾人も幾人も列をつくって見渡すかぎり、凝然とたたずんでいます。 太古以来の有名無名の戦死者にまじって、日本人にも親しい太平洋戦争の戦死者たちがいます。慰霊祭でおなじみの原爆や沖縄戦の犠牲者も見えます。原爆の死者は小澤アリアでも区別がつきました。 もちろん「鬼畜米英」の兵隊も、戦場となった現地の住人もいます。 ヨーロッパやインドシナ、ロシア戦線の戦死者たち。その前の第一次世界大戦の戦死者の姿も見えます。 冷戦時代の、収容所の、独立戦争の、数々の内戦の犠牲者たち。 群を抜いて多い二十世紀の死者たちの列は地図のように綺麗に色分けされています。それ以前の戦争の死者たちが霞むほど、多数で、色とりどりです。 天安門でミンチにされた十万人。 南京で虐殺された百万人。 舞台袖にはチベット人の姿もあります。 ウイグル族もいます。 アフガン・イラクで死んだ一千万。 数は少なくても態度は大きいアメリカ兵。 それ以外の中東でも三千万。 南米大陸でも一億人。 アフリカで餓死した数億人。 あとはいろいろ。 アリアにはとてもではありませんが、全部判別することなどできませんでした。それほどに戦死者の数は膨大で、果てしなく地平線を埋めつくすほどに連なっています。 ああ。あれはバルカン半島の人かしらね。 新しめの記憶をたどって、少しばかり考えてみましたが、すぐにあきらめてしまいました。 前景で鮮やかな衣服の色に焦げ跡を閃かせるのは、空爆の死者たちか、あるいは最新のテロの犠牲者でしょうか。 いずれにしても死人です。 ありえないほどとうの昔から死んでいます。 青蓮閣にとっても当局にとってもそれは予定外の事態でした。
どれほどの時間がったったのでしょう。 小澤アリアが絹を裂くような悲鳴をあげました。 幽霊の肌が左腕にさわったような気がしたからです。 冷気が背中を、首筋を、胸の谷間をかけのぼり、膝ががくがくして力が抜けてしまい、どうにもうまく立っていられません。 ようやく客席が騒然とし始め、恐怖の大波がすべてを呑み込もうした瞬間。 甲高い警笛の音がして、人民解放軍の一団が舞台になだれ込み、小裸を手荒に押さえ込みます。 死者たちの姿は跡形もなく消え失せました。
(男の森の小裸――6へ)
【事務局注】 この作品は、送信された作品ファイルサイズが非常に大きく、1エントリ分で作品全てを表示することができないため、事務局側の判断で複数エントリに分割していますが、全て合わせて単独の一作品として応募を受け付けた作品です。 このため、先頭エントリ部分のみトラックバック/コメントを受け付けるとともに、先頭以外のエントリではトラックバック/コメントを受け付けないようになっています。 これはエントリーblogのCGIの仕様上の制限に基づく特別措置であり、「男の森の小裸-XX」を全て合わせて1ファイルの単独作品であるとして、先頭エントリ部分にのみトラックバック/コメント講評を頂戴いただけますようお願いします。
なお、正式タイトルは「男の森の小裸」で、XX部分の数字はエントリ分割に伴う、事務局による補足的なものです。
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22:59, Tuesday, Sep 15, 2009 ¦ 固定リンク
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QRコードの中に 潜む実話怪談

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