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エリニュスの蝶-2
エリニュスの蝶から)

4.
 花子がエレベーターで1階に降りると老婆が部屋から出て待っていた。
「話はついたようだね」
老婆は漆塗りの箱に目をやった。
「はい」
頷いて花子は金の入った封筒を取り出した。
「……随分と多いようだが」
封筒の中身を確かめて老婆は花子に尋ねる。
「娘の学費として貯めていたものです。もう必要ありませんから」
「そうかい……、大事に使わせてもらうよ」
封筒を懐に入れて老婆は言った。
「失礼します」
一礼すると花子は歩き出した。

 帰宅すると花子は部屋のカーテンを引き、家中の家電製品のコンセントを抜いた。それから郵便受けに2,3日分の新聞を入れておく。こうすれば誰かが尋ねてきても居留守が使える。居間の折りたたみ式テーブルの上にサナギを置き、花子は午前二時を待った。二時きっかりに果物ナイフで左手の人差し指を刺す。ポタリと血が垂れると、サナギは一瞬、ボオッと赤い光を放った。花子はサナギの前に座り、額の前に手を当てて一心不乱に念じた。絵里奈を奪われてから今日に至るまでの恨みのすべてを込めた。気がつくと涙が零れていた。花子は泣きながら、恨みを叫んだ。どのくらいそうやっていたのだろうか。夜が白々と明けてきていた。夜間に呪術を行うには日中休まなければならない。自分の部屋に行こうと立ち上がると、
「うっ」
眩暈に襲われて花子はよろめいた。

 呪術を開始して3日が過ぎたが、特にサナギに変化はみられなかった。顔を洗おうと洗面所にいくと鏡に憔悴しきった顔が映った。病み疲れた病人のような顔だった。居間に戻り、花子は買い置きしておいたパンを食べた。
「えっ?」
味が全くしなかった。味覚が消失していた。止む無く牛乳で流し込む。立ち上がろうとするたびに花子は立ち眩みに襲われるようになった。

 5日目。心なしかサナギは薄くなってきているようだった。体は極度の貧血になったようにダルく、発熱もしているようだった。味覚がなくなったため食欲も無かったが、スナックタイプの栄養補助食品を口に押し込む。土を噛んでいるようだった。体力を温存するため、丑三つ時の午前2時になるまでは、なるべく横になっていることにした。体だけでなく頭もはっきりとせず、念を込めるとき、意識を集中させるのが難しくなってきていた。
 
 七日目。サナギは全体的に薄くなり、中の赤っぽい模様が透けて見えている。呪術の発動が近いことを思わせたが、花子の体の衰弱はさらに進んで、体を起こしているのも億劫になってきていた。何かを口にすると胃が騒いで戻してしまいそうだったので、スポーツドリンクを口に含み、ゆっくりと嚥下する。一日の大半を暗い居間のソファに横たわって過ごしているため、時間の感覚があやふやになり、今が夜なのか昼なのか分からなくなっていた。
それでも携帯で時刻を確かめると、花子はサナギに向った。念を込めようとしたが、頭の芯が痺れたようになって、気を抜くとそのまま意識を失ってしまいそうだった。頭に力が入らないという感覚を、花子は初めて知った。
(このままでは、ダメだ)
呪術が成功する前に自分の方が倒れてしまいそうだった。絵里奈の仇を取るまではまだ死ねない。まだだ、まだ。呪文のように唱えると花子は果物ナイフを取り出して、手の甲に突き立てた。
「グウッ!」
痛みが意識を覚醒させる。歯を食いしばってサナギに恨みの念を叩きつける。意識が飛びそうになるたびに、花子はナイフを手に突き立てた。部屋中に鉄錆びの臭いが充満した。

――お母さん。
闇の中に絵里奈が立っていた。悲しそうな顔で何度も首を振る。絵里奈は自分の体を心配してくれているのだと花子は思った。
(お母さんは大丈夫よ。必ずあなたの仇は取るからね)
花子が答えると、絵里奈は項垂れて闇の向こうに消えていった。
「絵里奈!」
気がつくと花子はテーブルに突っ伏していた。
いつの間にか気を失っていたらしい。時計を見ると午前4時だった。ナイフを突き刺した手が激しく痛んだ。
もう一度念を込めようと箱の中を見ると、枝の下に空のサナギが落ちていた。
「ああっ」
蝶が羽化していた。花子の血を吸ったかのような深紅の翅をもった蝶が枝にしがみついていた。綺麗な蝶だ、と花子は思った。
花子が見守る中、蝶はしぼんでいる翅を徐々に伸ばしていく。5分ほどすると翅は完全に伸びきり、深紅の蝶は飛翔した。
「ま、待って!」
壁につかまりながら花子は蝶を追った。蝶は花子が来るのを待っているかのように何度か廊下で旋回した後、洗面所に入っていった。
花子が洗面所に辿り着くと、蝶は洗面台の上の鏡の中に吸い込まれるように消えてしまった。
「あっ!」
蝶が消えた刹那、まるで水面に石を投じたような波紋が鏡の表面に広がった。しばらくして波紋が収まると、鏡の中の景色が変わっていた。
薄暗く殺風景な部屋が映っていた。三、四畳ほどの狭い部屋の中には一人の男が横たわっている。
「こいつ!」
花子はこの男の顔を何度もTVで見ている。絶対に忘れないように網膜に刻みつけた顔だった。
男は住川和哉だった。



5. 
 拘置所の独居房の中で和哉は寝がえりを打った。ここ数日、妙に寝つきが悪い。眠れたかと思うとすぐ目が覚めてしまう。目が覚めたとき、いつも何か厭な夢を見たような気がするのだがどうしても内容は思い出せなかった。その夜も和哉は何度か浅い眠りと覚醒を繰り返していた。
「うん?」
何かが軽く頬に触れた。和哉が薄く眼を開けると頭の上を何か赤いものが舞っていた。
「何だ?」
天井から吊るされた豆電球の微かな明かりで、それは蝶だと分かった。
「クソッ」
こんなものが頭の上を飛んでいては気になって眠れない。和哉は舌打ちすると布団から起き上がった。
ヒラヒラと舞う蝶を目で追っていくと壁際にスカートから伸びる2本の足があるのが見えた。
部屋の隅にランドセルを背負った女の子が立っていた。
「お、お前、どっから入った!」
和哉は驚愕した。
扉には当然、鍵が掛けられている。この女の子は自分に気付かれずに、いつの間に入ったのだろう。いや、そもそもここは拘置所だ。見張りの看守が何人もいるし、こんな小さな子供が入ってこれる場所ではない。狼狽する和哉を女の子は上目遣いでじっと睨んでいる。
「おい、何とか言えよ!」
女の子に詰め寄ろうとした瞬間、女の子の傍の壁面がゴボゴボと音を立てた。セメントで塗り固められた壁が沸騰するかのように湧き立ち、泡が弾けるたびに壁がボトボトと何かを吐き出す。床に落ちた無数の物体は、まるで多頭の蛇のようにくねりながら和哉に押し寄せてくる。それは夥しい数の昆虫――百足、蜘蛛、蟯螂、蛆、蝗、油虫など――の群れだった。
「ヒイイイッッ!」
和哉が悲鳴を上げると女の子はニイッと口角を上げ、嗤った。半狂乱になった和哉が女の子に掴みかかろうとすると、手が触れる寸前で女の子の体は黒い粒子となって四散した。
掴みかかる対象を失って蟲の池の中に顔面から突っ込んだ和哉の口に百足や蜘蛛が殺到する。
「うげぇ!」
吐き出す間も無く、頭上からはヴァアアアアンという羽音を響かせて数百の蠅が襲い掛かってきた。



6.
 花子には何が起きたのか分からなかった。鏡の中に入り込んだ蝶が、寝ている住川の額に吸い込まれるようにして消えると、住川が急に起き上がり、何事が喚いた後、絶叫すると顔から床に倒れこんだ。そのすぐ後で、看守が2人、慌てた様子で部屋に入ってきて住川の体を抱き起こして揺さぶった。住川はピクリとも動かなかった。住川は目を異様なほど見開いており、焦点を失った両目からは血が涙のように流れていた。呪法が成就し住川は死んだのだ、と花子は理解した。

 住川の死を見届けた花子は這うように居間に戻った。居間にたどり着くと、そのまま仰向けに倒れる。もう体には全く力が入らなかった。恐らくこのまま死んでしまうのだろう。
(やったよ、絵里奈。お母さん、絵里奈の仇を討ったよ)
天井を見上げて花子は呟いた。これでもう思い残す事はない。ようやく絵里奈の待つ所に行ける。穏やかな気持ちで花子は瞼を閉じた。
――に行くんだよ。花子!
突然、脳裏に声が響いて、花子は再び瞼を開いた。
ぼんやりとした視界に6年前に亡くなった祖母の姿が映って見える。
祖母はまだ元気だった頃の祖母で、なにやら怖い顔で花子を叱っている。
(ああ、あの時だ)
花子がまだ子供の頃のことだ。田舎の祖母のところに遊びに行った花子は、近くの男の子達に面白いものを見せてやると遊びに誘われた。
男の子達は蛙を捕まえると爆竹を取り出し、蛙の口を無理矢理開いて差し込んだ。パァン、という音と共に蛙は破裂し、血と肉片と臓物を飛び散らせた。気持ち悪いのと怖いので花子が泣きながら祖母の元に逃げ帰ると、祖母は烈火のごとく怒った。
(あたしは悪くなかったのにな)
人は死の直前、過去の記憶を走馬灯のように思い出すというが、これがそうなのだろうか。あの時、確か祖母はこう言って花子を叱った。
――悪い事をした人は地獄に行くんだよ、花子!
(地獄……)
朦朧とした意識の中で何か違和感が生じるのを花子は感じた。
靴の中の小石のように小さいけれど無視できない何か。
それが何なのか考えていると、不意に、絵里奈の姿が浮かんだ。
――お母さん。
絵里奈は辛そうな表情で首を振っている。必死になって何かを花子に伝えようとしているように見えた。だが、無声映画を見ているように花子には娘の声が聞こえなかった。自分の声が母親に届いていないことに気付いたのか絵里奈は悲しそうに項垂れて消えてしまった。
(絵里奈?)
仇をうったのに、何故、そんな悲しそうな顔をするのか。
自分は何か取り返しのつかない間違いを犯してしまったのではないか。
小さな違和感は徐々に得体の知れない不安感へと姿を変えていき、花子はある考えに至った。
(まさか、そんな、あたしは)
――絵里奈とあの世で会えないのではないか。
先ほどの祖母の言葉をきっかけに、不安感はそんな恐れにも似た考えを花子の中に生んだ。 “あの世”というものが本当にあるか分からないが、これから死にゆく花子にとって、あの世で娘と再会するという考えは救いでもあった。しかし娘を殺した男とはいえ、自分も人の命を奪ってしまった。その罪悪感が無意識の内に祖母の思い出を幻出させ、花子が“満たされた死”を迎えることを許さなかった。罪に対する罰を与えようとしていた。いったん意識の上に昇った事柄を意識して消し去ることは困難だと花子は思い知る。
(絵里奈……)
再び花子は絵里奈の悲しげな姿を思い出す。絵里奈は何かを必死に訴えようとしていた。
――そんなことをしたら絵里奈ともう会えなくなる。お母さん、気付いて。
絵里奈はそう言っていたのではないか。
(違う。違う。違う!)
花子は激しく動揺した。
何故、最期の瞬間にこんなことを思ってしまったのか。
人は死んだら土になる。それで終わりだ。例えそうでなくとも、自分は娘の仇をとったのだ。悔いはない。悔いはないはずだ。何度も自分に言い聞かせる。
(……でも、本当にこうなる事を望んでいたのだろうか?)
何度振り払ってみても、後悔が首をもたげてくる。
(私だって本当はこんな事をしたくなかった。絵里奈と静かに暮らしたかっただけなのに。あいつが悪いんだ。あいつが絵里奈を、絵里奈を殺すから。だから私は絵里奈のために、自分のために、仇を、とった。それは悪いことじゃあ、ない。ないはずだ)
自分の中の正義と信念に花子はしがみついた。そうしなければ、自分が保てそうになかった。次から次へと湧き上がる悔恨という名の濁流に飲み込まれまいと、花子は必死に足掻いた。
(たとえ許されない事であっても、私は納得していた。信じて、やった。だけど……、でも……、ああっ、絵里奈っ!)
花子の中で何かが爆ぜた。
(嫌だ。嫌だ! いやだよぉ!)
理屈などどうでもよかった。ただ、もう一度娘に会いたかった。会って抱きしめたかった。それだけが花子の本当の望みだった。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら子供がむずがるように頭を振る。
(絵里奈、絵里奈、絵里奈ァアア!)
花子は絶叫した。

白く霞がかかった視界の端に蝶が舞っているのが見える。住川を殺したのと違って黒い蝶だったが、もはや花子にはその区別がつかない。ただ、綺麗な蝶がいるなあ、とぼんやり思った。
(そういえば絵里奈はチョウチョウが好きだったな。あれを見せてあげたら喜ぶな)
そう思いついて、花子は力の入らない手を蝶へと伸ばす。
蝶は花子の頭上で何度か旋回を繰り返すとゆっくりと降りてくる。
震える花子の手の方へ。
復讐の代償をエリニュスに捧げる為に。



(了)


【事務局注】
この作品は、送信された作品ファイルサイズが非常に大きく、1エントリ分で作品全てを表示することができないため、事務局側の判断で複数エントリに分割していますが、全て合わせて単独の一作品として応募を受け付けた作品です。
このため、先頭エントリ部分のみトラックバック/コメントを受け付けるとともに、先頭以外のエントリではトラックバック/コメントを受け付けないようになっています。
これはエントリーblogのCGIの仕様上の制限に基づく特別措置であり、「エリニュスの蝶-XX」を全て合わせて1ファイルの単独作品であるとして、先頭エントリ部分にのみトラックバック/コメント講評を頂戴いただけますようお願いします。

なお、正式タイトルは「エリニュスの蝶」で、XX部分の数字はエントリ分割に伴う、事務局による補足的なものです。

[2016年10月28日追記]
本作品の登場人物名について著者以外の第三者から本人証明を伴う削除依頼がありました。このため、該当する登場人物名を暫定的に「山田花子」に変更しています。この暫定措置について著者からの抗議などがありましたら、事務局宛フォームからその旨ご連絡下さい。


00:04, Wednesday, Sep 16, 2009 ¦ 固定リンク ¦ 携帯

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