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英吾は最寄駅に向かい歩きながら、今日もまた何一つ変わらない日常が始まる、ということにうんざりしていた。 ここのところ伸び悩んでいる営業成績について、また上司に叱責されるだろう。 そしてまた、腹持ちならない傲慢な客達に、それでも契約をもらうためにへらへらこびへつらわなければならない。 そうして、一日中くたくたになるまで走り回った挙句、ぼろ雑巾のようになってただ寝るだけのために、またここに帰ってくることになるのだ。 「これがおれの成りたかった姿だろうか」 そんなことを考えながら英吾は、いつものように改札口の横にある駅の売店で、蝉おばちゃんから新聞を買った。
毎日顔を合わせるそのおばちゃんの顔は、どことなく蝉の裏側を連想させるので、勝手にそう呼んでいるのだ。もちろん心の中だけで。 「いってらっしゃい」 気持ちの悪い笑顔に見送られ、内心吐きそうになりながら、釣りを財布にしまおうとしてふと気づいた。
釣りが多い。
500円玉を出し、130円の新聞を買ったのに、手元には100円玉が5枚、10円玉が2枚、合計520円ある。 蝉おばちゃんが、50円と100円を間違えたのだろう。 「…ま、いいか」 気づいて考え判断したのは、ほんの一瞬だっただろう。 英吾はそのまま釣りを財布にしまい、改札口に向かおうとした。
そのとき。 「ちょっと待ちなさい」 定期入れを持った右腕を強い力でつかまれた。
帽子を目深にかぶった背の高い屈強な男は、制服を着ていた。 ベルトの周りには、黒皮の入れ物に入れられた道具がいくつかぶら下がっている。それが拳銃と手錠だと気づいたとき、英吾は彼が警察官であることを知った。
英吾は動くことも声を発することも出来なかったが、それは、腕をつかんでいる警察官の腕力が強すぎたためでもあったし、なぜ自分が腕をつかまれたのか、その理由を思いつくことが出来なかったためでもあった。 「君は詐欺を働いたね」 大きくはないが有無を言わさない圧倒的な迫力のある声で、男が宣言した。 自動改札のピンコンピンコンと繰り返す耳障りな音は今の英吾の耳には届かない。 「…え」 警察官の言葉の意味がわからず、英吾はいつまで経っても言葉を発することが出来なかった。 「×月×日7時53分、詐欺容疑で逮捕」 警察官は黙ったままの英吾に業を煮やし、改札口の頭上に設置された時計と腕時計を見比べ時間を確認した後、そう言いながら、英吾の両手に手錠をかけた。
英吾は警察官にそのまま連れられ、売店の横のやや広いスペースまで歩いた。 警察官はなおも英吾の腕をつかんだまま携帯電話を取り出すと、どこかに電話をした。
電話を切った後、警察官は言った。 「では、取調べを行う」 「君は、×月×日7時40分頃、どこで何をしていたかね」 売店の横で立ったまま、英吾がまともに答えらずにいるうちにも、質問は延々と続き、いつ終わるのだろうかと英吾が絶望しそうになった頃、不意に目の前で車が停まり、中から黒いスーツの男が降りてきた。 「は!ご苦労さまです!」 警察官は姿勢をただし、敬礼をしてスーツの男を迎えた。 男は検察官であった。 細く鋭利な目は、まるでカマキリのようだった。 警察官がカマキリ男に、手早く順を追って現状の報告をした。 「君が詐欺の被疑者だね」 カマキリ男が英吾に向かい合い、言葉を発した途端、英吾の目の前に名刺を持った手が伸びてきた。名刺には、「弁護士山本太郎」とあった。 「刑事弁護なら私に任せてください」 同時に聞こえた声の方を振り向くと、 丸々と太った幸せそうな男が立っていた。スーツを着ているのに、ワイシャツを巻きこみ、腹のあたりが蛇腹のようになっている。生理的に嫌悪を覚えた。団子蟲のようだ。
英吾が首を横に振ると、わらわらと再び目の前に名刺が差し伸べられた。 「違法捜査は許しません」、「安心迅速、知的犯罪は当事務所へ」、「人権擁護の温情派弁護士と言えば私のことです」 口々に自己アピールをしだす。 そんな中、名刺のない手が伸びてきた。 英吾が驚いて振り返ると、落ち着いた雰囲気の品の良い老人がいた。 男は、「弁護士のミキです」と名乗った。 英吾は彼を弁護人に選んだ。
車がまた停まる。 「全員起立!」 車から先に降りて後部座席の扉を開けた男が言う。 カマキリ男、ミキ、警察官が姿勢を正す。 元から座っていないのだ。 英吾は裁判官のお出ましだと思った。
黒いマントのようなものをまとった男は、蟻のように見えた。 「被告人は前へ」 英吾が一歩踏み出す。 「名前を言ってください」 英吾がここまで誰にも聞かれなかった本名を言う。 「本人に間違いないですね」 蟻男の言葉に英吾は黙ってうなずく。 「では、検察官、起訴状を読み上げてください」 カマキリ男がしばし熱弁を振るう。 その後、英吾は蟻男から黙秘権の話をされ、検察官の起訴した理由である、詐欺罪についての認否を求められた。 正直に「よくわかりません」と答えた。
英吾はいつの間にか、いつもの朝ではなくなってしまったのだと思った。 市民に開かれた司法を!のスローガンの下、出張裁判が開始されて久しい。 しかし、自分がその立場になるとは思っても見なかった。
いつの間にやら黒山の人だかりが出来ていた。 繰り返される日常に不意にもぐりこんだ非日常の世界を嬉々として者ばかりだ。 衆人環視の目にさらされたことで、英吾は会社を辞めさせられるだろうことが容易に想像できた。
証人尋問が行われ、蝉おばちゃんが呼ばれ、通りすがりのおじさんが呼ばれた。 途中乱入してきた男に、
ミキ弁護士の働きで、蝉おばちゃんとは示談が済み、駅前で署名嘆願運動も起こった。
判決は、無罪となった。 しかし、予想どおり、英吾は解雇された。
仕事がなくなった英吾はたちまち生活に困り、部屋を追い出された。 日雇いでなんとか食いつなぎながら漫画喫茶で朝を迎える日々を送れたうちは、まだましだった。 なにより、雨の冷たさや地面の底冷えを知らずに済んだのだ。
それも長くは続かなかった。 不景気のせいで、日雇い仕事自体減ってしまった。 それに雇い主は、同じ給料を払うなら、自分のように栄養不足でふらふらしているくたびれた男より、若くて健康な若者達を使いたいと考えているようだった。
英吾はとうとうホームレスになった。
地面に重ねたダンボールの上に寝ていると本当に骨がきしむ思いがした。 身体は骨と皮ばかりになった。 喜怒哀楽が抜け落ち、ただ生きるためだけにゴミ捨て場に向かうようになった。 「おれは虫けらになっちまった」 風呂に入れないため、身体は垢にまみれ皮脂がかたまり、黒光りしていた。
あるとき、いつもの餌場を順にめぐっていると、2件目のコンビニ裏の暗がりで、見覚えのある顔が笑っていることに気づいた。 「ミキ先生だ」 英吾は一瞬隠れようとしたが、この格好では気づかれることはないだろうと思い直して気づかない振りをした。 しかし、隣にいる男を見て目を疑った。 忘れもしない、英吾を殺人者に仕立て上げようとした男だ。 なぜ奴がミキ先生とあんなに仲良さそうに談笑しているのだろう。 英吾は耳を澄ました。 彼らは英吾の存在など、道端の石くらいにも思っていないようだった。 「いやあ、いつもながら先生の熱弁はすばらしいですな」 「いやいや、君の主張があって初めて私の弁護が生きるのですよ。」 「思えば、あの駅前での詐欺事件以来の付き合いだから、もう5年にもなりまさあね。」 男はあのときのようにねちっこい目で一瞬遠くを見てから、弁護士に向き直り言った。 「そうそう、私最近会社を興しましてね。報酬のほうは今後はそちらに…」 英吾の中で、何かが爆発した。 どこにそんな力が残っていたのだろう、気づいたときには彼らに走り寄り、ミキの首を締め上げていた。ミキは苦しそうにもがいている。 「おまえ何してんだ!」 男がミキに延びた英吾の手を振りほどこうとするが、全くびくともしない。 ミキが垢だらけの英吾の指を掻き毟る。 「先生、これは緊急避難っていうんだよな」 男は言いながら、いつの間にか手に持った何かのドリンクの瓶で、英吾の腕をたたいた。 「うっ」 英吾がひるんでミキの首にかかった手を緩めた途端、ミキに腹を蹴られた。 上半身が折れた英吾は、その勢いでミキに飛び掛り、覆いかぶさると、ミキの首元に噛み付いた。 次の瞬間、男がビール瓶を思い切り英吾の後頭部に振り下ろした。
アスファルトの上、雨に濡れ、垢で固まった英吾の長髪は、まるで二本の触覚のように見えたという。その横の水溜りで弁護士御器の名刺が揺れていた。
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■講評
核戦争後も生き残るのはゴキとネズミだけ、って話を思い出しました。何となく。
そんな感じ。 話に抑揚が無いために頭の片隅に残るか残らないか、そんな話に終わっています。 「起承転結」の承の部分を削りすぎた感じです。 いやらしいくらい感情を乗せた歌は、嫌いでも耳に残る。 もう少し、そんな話でもいいような気がします。 |
名前: ほおづき ¦ 14:38, Tuesday, Dec 15, 2009 ×
男性描写のある弁護士の名前が「ミキ」というのに、けっこうな違和感を感じつつ読み進めましたので、「御器」という漢字が最後で出てきたのは効きました。
蝉の裏側のような顔という描写には噴きだしました。
*伏線「ミキ」+1 |
名前: げんき ¦ 21:38, Wednesday, Dec 16, 2009 ×
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